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徒然草むしり
嘘を! もっと嘘を!


『私は停めません宣言!』キャンペーンに異議を唱える。
「わたしは停めません宣言!」の話でして、キャンペーンに関わる皆さんに悪意が無いことには疑いがないのでたいへん心苦しいのだが、でも書いとかないとなあ。僕がイタかとです。

結論から書いておくと、このキャンペーンには賛同できないし、参加している人や主催者を非難したりすることはもとよりないが、これから参加なさるのであればお薦めしない。なんとなれば、まず実効がないうえに、障害者福祉だのバリアフリーだのに関して言うならばむしろその促進を阻害してしまいかねない活動のようにも思えるからです。

繰り返すが、善意による行動であることは毫も疑ってはいない。


わたしは停めません宣言!
主催者さんのサイトから趣旨を引用させていただく。
「車イス駐車場に停めません」キャンペーンは、車イス駐車場の必要性をチェアウォーカー以外の方々に認識してもらうことを全国民に向けて訴えかけるものです。このキャンペーンの真意は、本活動を通して健常者とチェアウォーカーがお互い気持ちよく生きていける社会を作るために必要な「共生の意識」を啓蒙するものです。
趣旨の続きは、画像リンクから辿ってください。

書き始めたら無闇と長くなったもので、そっちはよしてダイジェストだけ掲載しておく。いやマジで長くなっちゃったについては「僕の文章力の欠如」にも因るのだろうけれども、「問題点が多岐にわたる」ことにも因るのですよ、ご理解ください。ダイジェストにしてもこれだけ長いというあたりから察してくださいね。

というわけでざっくり。


■実効がない。

まず、「わたしは停めません宣言!」の意味が判りづらい。これは「私は"健常者ですから"所謂ところの車イス用の駐車場には停めません」ということで間違いないと思うのだが、それはこのステッカーからは伝わっていないと思う。
そも、不見識に「車イス駐車場」に停めちゃうような人は、このスティッカーを見て「なんだろう、これ」なんて思いやせんてば。


■悪弊がある。

思いっきり身障者向けスペースを潰しているトラックの画像。 所謂「車イス駐車場」に停めてある自動車に対しての「偏見」という根本的な悪弊が発生する。
たとえば、いっけん健常でありそうな人が所謂「車イス駐車場」に自分の自動車を停めていた場合に、その「いっけん健常でありそうな人」が「内部障害を抱えて」いたり、あるいは「聴覚や視覚に障害を抱えていたり」、あるいは「ちょいと気分が悪いもんで」といったあたりについては考慮されていない。

キャンペーンで言われているのは「停めない」ことばかりだが、そういうことではないとも思うわけだ。
それ以前に、なぜ「健常者が不当に車イス駐車場に駐車している」ことが判るのだろうか。誰かを迎えにきたのかもしれないし、誰かを送ってきたのかもしれないし、実はドライバー本人がけっこうな苦労をしてキビキビと歩いていたということだってあるのだろうし。


■シンボルマークの使い方が間違っている。

International Symbol of Access それは構わないとしても、シンボルマークは「車イス関連」乃至「車イス駐車場」を示すものでは、ない(つまり、あれは「車イス駐車場」ではない)。正しく「身障者が利用できる設備」の設置表明として定められたものである。

日本リハビリテーション協会のサイトから引用させていただくと、

シンボルマークは車いす使用者も含め、可動性が制限されているすべての者が利用できる建物や施設及びそこへの道を示す目的以外には決して使用してはならない。
とあり、また、
障害者の利用を考慮した建物・施設を示す国際シンボルマーク」である
ともある。さらに、
国際シンボルマークがしばしばその本来の目的以外に使用されていることを遺憾に思う。例えば、シンボルマークが身体障害者ドライバー用、遭難信号用や他の標示目的といった適切な標示マークが決められていないものに流用されていることである。さらに、シンボルマークが特別なデザイン図や特定の障害者のためのものとして使用されていたりすることである。
ともあって、今回の「車イス駐車場」という表記は(「判りやすくした」というエクスキューズがあったとしても)「例えば、シンボルマークが身体障害者ドライバー用」として解釈されている点でやはり問題のあるものと思う。いや、判ってやってることは僕にも判ってるんですけど、けっきょくはリハ協さんの憂慮する「誤解」をも拡大する結果になっちゃうわけでしょう。

ついでに書いておくと、

シンボルマークのデザインを変えたり、書き加えることは許されない。
ともあって、こっちにも抵触しているよなあ、キャンペーンは。アイコンは、使い途が特定されているからこそアイコンたれるのであって。こんなとこに流用しちゃいかんのだよ。
■障害当事者を排除している。

障害当事者は、このキャンペーンに参加することはできない。これってものすごくひっかかるところなのだが、また長くなるので措く。


それはそれとして、このキャンペーンに参加して自分のクルマにスティッカーを貼ってしまった賛同者は、たとえば車イス使用の友人を所謂車イス用駐車場まで送迎することができない。なんとなれば、「車イス駐車場」に駐車することができないからだ。

そんなバカな話があるもんか。


ついでに書いておくと、画像を眺めるとキャンペーンサイドウェブサイトに載せた画像にAltタグが付与されていないことが判る。即ち視覚障害者に対する配慮が欠けていることは判る(キャンペーンページのみの話なので、どうやら凡ミスであろう)。
ざっと書いただけで、こんなところです。

やはり、趣旨は判るが行動が短絡的にすぎないか、という気はするんですよ。やみくもに「停めない」だけでは、あのマークのついた駐車場の意義は伝わらない。表現が稚拙なので、キャンペーンの趣旨も伝わらない。むしろいちばん伝わってほしいところには伝わらない(キャンペーンに参加する人はすでに趣旨は理解しているのだから)。

典型的な例(2004年10月、東京女子医大にて)。 以下は言い過ぎなのは判っていて書いちゃうのだが、たとえば「パイロン(三角コーン)でとおせんぼしてある障害者向け駐車場」とか「常時施錠してあるバリアフリー・トイレ」とか、あるいは「遠慮のカタマリ」と化しているバスのシルバーシートみたいなものを生み出している思想(というか「考えなし」)と通底つうていしてしまいそうなあたりにも危惧は感じているのですが、これはこれで考えすぎ、なのだろうなあ。


なんというかその、もうちょっと「共生」というかインテグレーションというか、いろんな方向からいろんな人が知識とか意識とかを高めあうような感じにはできなかったのだろうか、などともちょっと思うのでした。


もっと言っちゃえば、
  • 活動自体が障害当事者と関係ない、
  • 個別の障害対応がまったくない、
  • 効果はないけどエクスキューズは豊富、
  • 基本は(健常者相互に於いての)差別感乃至優越感たらん(趣旨に「啓蒙」って書いてありましたな)、
というあたりを勘案すると、どうやら健常者による「私は関係ありません」キャンペーンなんですよね、これ。
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