徒然草むしり
嘘を! もっと嘘を!


2016年3月25日から28日(金土日月曜日): 長屋の花見。
今日のお花見:

一里ほど移動。 エステーR&D前ハナモモ

土曜日の朝から、「長屋の花見」の本場である飛鳥山でウクレレのお花見だということでとことこと出かける。10:30くらいに王子駅集合のところ、辰の下刻くらいにのんびりと家を出て、西武新宿線中井駅界隈からせいぜい足を延ばして都電荒川線学習院下駅まで2マイルってとこか。あとで地図を見たら飛鳥山まででも二里がところなので、歩こうと思えば歩けたな。距離からすると、神田馬喰町界隈から砂絵のセンセー御一行が飛鳥山を目指したのとほぼ同じくらいだ。

宴会中

ウクレレメーリングリスト【最初はC】のお花見には、僕はウクレレを始めた2000年の春から参加させていただいている。その初回に上野公園寛永寺清水観音堂の前で待ち合わせたイタチさんは、僕が世界で初めてお会いしたウクレレ弾きだ。いつもお世話になります。

飛鳥山の桜 豪華花見料理 散髪

そんなこんなで楽しくお花見。
帰りがけの高田馬場界隈で散髪もしてきた。


今日の体重:

体重の推移 父が『かんたん! ダイエット』とかなんとかいう書籍を買ってきて、「おまえも読め」と言う。ふむ、身長166 cmで体重が62 kg界隈からいっちょも動かん、BMIが20を、体脂肪率がアスリートでもないのに15%を今にも切りそうな私にそれを読めと言うのか。と思ってから気がついたのだが、つまり痩身術本に書いてあることの「ぜんぶ逆」をやればひょっとすると太れるのではないか。

それはそれでなんか身体によくなさそうだけどなあ。


今日の睡眠: 睡眠障害の話。

睡眠記録 ※チャート左端が10:00でそこから右へ24時間、色のついているバーは睡眠中。紫色が眠剤服用後、橙色は眠剤服用なし。Mはマイスリー(ゾルピデム)10 mgで、Lはレンドルミン(プロチゾラム)の定量0.25 mg。


だいたい判った。

ざっくり言うと「睡眠薬がないと寝つけない」「寝ついてもすぐに目覚めてしまう」、この繰り返しなんだな。夜半に目覚めてしまうと「まあいいや、寝よう」と思ってまた睡眠薬をオーバードースしてしまうあたりもよろしくないのだが、そのあたりは調査中だ。

それでぱっと見た感じでは、半年前の「ほっとくと寝床でごろごろしているうちに48時間ほど経ってめっさ気分よくない」とかいう状況は解消されているわけだし、もともとほっとけば眠たくもないし起床については目覚まし一発で起きられるわけだから、コアタイムを日昼に置いている社会生活にもそろそろ適応できるのではないか。というかそんなものに適応してきたことがかつてあるのか、という話は措くわけだが。


それはそれとして、月曜日の朝も睡眠障害対策のための日光浴としてちょいとお散歩に出たのだが、妙正寺川沿いでちょっと靴紐を結び直そうとしたところでふらついて転びそうになった。確かに昨晩もレンドルミンをオーバードースしてはいるが、それ10時間前だぜ、関係あんのか。不眠症様症状の出始めた昨秋あたりにもなんでかころころ転んだりはしていたものがさいきんなくなってはいるのだが、さて眠剤と関係あるのかな、これ。あるいは三半規管に、不眠症や向精神薬と関係があったりなかったりする何らかの症状が出来しているという可能性も、ないことはないな。

確認するとしたら、最初の可能性を潰すためにまず睡眠薬の服用をやめてみるわけだが、そうするとたぶん眠れないしなあ。どうしたものかなあ。


今日の重症急性膵炎: 罹患期延長の話。

経鼻栄養中測定器付き 僕のひっかかっている重症急性膵炎というのは厚労省かなんかのお墨付きのあるけっこう立派な、というと語弊があるがたいへんな病気であるらしい。診断も難しいらしくて、2014年初夏に「なんかお腹痛いな」と思って近所の藪病院に行ったら「胃炎でしょ」とかいうんで胃薬を貰って、ちっとも治らないので改めて午後から大病院に行ってみたら本人は日帰りの心算なのにいきなりICU(集中治療室)に叩き込まれてそこから6週間入院してたもんな。ちなみにICUに叩き込まれた翌朝に目覚めてみたら、枕元に「ご親族」が集まっていたので「あれ? どうしたの?」と訊ねた僕はあたまごなしに怒られましたとさ、はっはっは。中野区長さんからは「国民健康保険限度額適用・標準負担額減額認定証」というのも下賜されていて、ここ2年間ならば使う機会もなくて幸いなのだが、なにやらたいへんだったらしい。本人に聞けば「え? うん、ハライタ」って答えるのだろうが、たぶんいろいろと申し訳ないことだ。


その膵炎の発症は2013年秋の沖縄だと思い込んでいたら、ほんとは2011年秋口あたりだったらしい。

2013年10月に母が亡くなって、お葬式も終わったので気分直しに沖縄に遊びに行って、到着した翌朝の朝から腹痛を出来した僕は沖縄協同病院のICUに収監された。朝からいきなり腹が痛みだしてホテルの近所の医院に行ったらやっぱり「胃炎でしょ」ってんで胃薬を出されたのだがまったく効かず、お医者さんが「これなんか違うね」ってんで紹介していただいたのが沖縄協同病院だったわけだ。

ついさいきん気づいたのだが、そのずいぶん前に某社合唱団演奏会に出演する母(合唱団員としてならカーネギー・ホールにも出演しているけっこうな大物、だった)の付き合いで歌いに行ったときに、そういえば膵炎痛様の症状をもてステージ上で倒れそうになったことがある。逆算するとガンマナイフ術後で車椅子に乗った母を押して行ったイケダさんの結婚式が2012春、ということはその母が立って歌っていた某社合唱団演奏会は2011年秋で、そのあたりから僕は膵炎を発症していたことになる。そういえば、その当時からちょっと疲れているっぽいときに「なにやら右脇腹が痛いな」とも思っていたような記憶もある。


まとめると、
 2011年秋頃:膵炎発症
 2012年-2013年秋頃:膵炎誤魔化す
 2013年秋:母死去、母介護で張ってた俺の気が決壊、満を持して膵炎本格発症
という機序だったんじゃないかな。

さらに書いておくと、2010年くらいだったら食道から胃から十二指腸からずんずん下って直腸の手前まで順繰りに炎症を起こしていたように思う。たしか食道が若松河田、十二指腸が中野で入院したのではなかったか。中野では「入院しましょう」と言われたのを「いえ、リハ(The Zirconsのリハーサル)がありますから」と断ってスタジオに行ったこともあったな。2010年から変わらずバカでいいなあ、俺。


今日の明日:

煮物 とりあえず飯の量を増やして、寝る。

関連記事
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
footcopy