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徒然草むしり
嘘を! もっと嘘を!


ニュース(2)-だからぁ、なんでも乗り越えさせるなっての-。
フジ子・ヘミングさん記事なのだが、あいかわらず「聴覚障害を乗り越え、世界的ピアニストとして活躍中のフジ子・ヘミング」とか書いてある。

勝手なことを書く(いつも勝手だが)。



イチャモンである。ちなみに俺は身体には特に障害はない、と思う。ちょっとアル中テストの数値が高いかな。いや笑い事ではなくて、これだって亢進すれば立派な身体障害に発展しうるわけで。気をつけよう。
まず、所謂障害者がなにかを成し遂げたりするとなんにも考えずに「障害を乗り越え」って言うじゃん。あれが気に入らない(ヘミングさん自身が「乗り越えた」と思っていらっしゃるかどうかは知らない)。俺の専門のジャズのほうでも、身長1メートルのミシェル・ペトルチアーニとか、麻痺で右手が動かないデヴィッド・マシューズとか、盲目ならジョージ・シアリングとかテテ・モントリューとかレイ・チャールズとかうじゃうじゃいる。そういえばジャンゴ・ラインハルトとかトニー・アイオミなんかはギタリストなのに指が足りない。
さて、超一流として泣く子も黙るこいつら失敬もといこのかたたちが乗り越えたのが障害だけなのか? ヘミングさんならまず国籍問題もあっただろうし、ほかの皆さんにしたってまず音楽的な鍛練はあったわけだし、ショービジネス界で名を売っていくにも苦労はあったろう。私人としての生活だって、ミュージシャンなら最初は苦しかった筈だ。なんで身体障害のことばっかり言うんだよ。

さらに言うなら、これが「デブを乗り越えて」とか「ハゲを乗り越えて」とか「国籍を乗り越えて」だったら、そんなこと言えるか? 一個人のさまざまな属性のひとつをことさらに取り上げて喧伝することを「差別」というのだ。だから「デブとかハゲとか国籍を乗り越えて」なんていまさら恥ずかしくて誰も言わない。「人種の壁を乗り越えて」だったら、「まだ差別のあった時代に」といったようなことでサチェル・ペイジとかカシアス・クレイとかウーテン兄弟(ブルーグラス・フェスティバルに出演したら、会場内の黒人は彼らだけだったのだそうな)を挙げることはできるのだろうが。
なんで身体障害者が活躍すると、身体障害のことから話が始まっちゃうんだよ。その時点で「差別的」だ。
そういえば手話ロックバンド「シャンテ」の人が、「新聞に載っても芸能欄じゃなくて必ず社会欄。儂らリハビリかいな」って言ってましたな。「障害を乗り越え」という言葉づかいも同じ文脈に乗っちまうことは考えたほうがいい。

もうひとつ。障害って、乗り越えなきゃいけないのか。かつての商売柄、聴覚障害をもつ知り合いはざらざらいるが、そんなに気合を入れてノリコエようとか思っているようなのには思い当たらない。違っていたらすまん。どちらかというと知り合い連中のやっていることは「聴覚障害と共生していくために社会にどっかんどっかんぶちあたる作業」のような気がするんだな。そういうのは「乗り越える」とは言わないし、どういう状況をもって「乗り越えた」と言えるのかも判らない。
仮に俺が現代科学では不治の病を得たとして、やっぱりその病と折り合いをつけてなるべく現状の生活を維持するか向上させるかするものと思う。まして身体障害はある意味で「病」ではなく「不具合」である(医療費控除と障害者控除が併存することが証左となる)。たぶんそんなに頑張らないと思うし、それでいいだろう俺の勝手だ。

そも、「乗り越えたから偉い」というのならば、「乗り越えなければ偉くない」ということにもなろう。他人の人生だぜ、勝手にさせたりぃな。

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