
火曜日にゲロゲロ吐いて。
水曜日に入院をして、
木曜日は点滴まみれ。
金曜日はお腹を空かせ、
土曜日もお腹を空かせ。
日曜日は脱走してライブ、
月曜日は病院追ん出され。
恋人よこれが私の
一週間の仕事でした。
恋人って誰だよ!
なんか結局食あたりみたいだったんだけど、コンビニの生ハムサラダでアタるとかいまどきありえなくね? よく判んね。
というわけで、火曜日の朝に起きてみたらなんか貧血っぽくて、瞳孔開いちゃって眩しくてしょうがねえでやんの。それでなんだかんだで寝床でピューピュー吐いて掛け布団を1枚ダメにして、絶食+ポカリスウェットでなんとかやりすごしたけど水曜日の朝になっても具合はよろしくない。しょうがないからかかりつけの大病院の担当科(「担当科」と書いているけれども平たく救命救急である)に行ってみたら即刻収監、点滴のみで生かされること3日間。土曜日から食事が与えられるというので愉しみにしていたら、なんのこたぁねえ「重湯」でした。米ジュースやんけ、がっくし。ってか米ジュースなら醗酵しているほうが好きだなあ。
日曜日はThe Zirconsがすみだストリートジャズフェスティバル出演だったもので、パジャマ姿のまま点滴引っこ抜いて病院を脱走して会場に向かう。意外とパジャマだってのもバレないもんですね。演奏自体はバカウケだったし、スタッフさんたちにも評判はよかったので脱走しがいもあろうってもんさの。なんか「ここ2日間ならいちばん」とか「スタッフが煽らないのに手拍子が出たのは初めて」とか。よしよし。
終演後、野に放たれた野獣の私はメンバーとかお客さんとかを募ってモツ焼きに行って食いまくり。隣席のお姉さんがチワワを連れていたのだが、あやうく捌いて喰ってしまうところでした。そんでフリスク齧りまくりながら病院に戻ってこっそり寝る、と。
月曜日、退院。大部屋でお隣のベッドにいらしたパウルさんはギニアだかガーナだか出身のやたらと色の黒い人で、カタコトの日本語と、よく判んないどこかの言葉と、英語を遣う。看護婦さんとの会話はときどき僕が通訳していたりしたのだが(メシの予定くらいなら俺でもなんとか)、看護師学校って英語も教えていたよなあとちょっと思ったり。確か明治時代にアメリカの看護師養成カリキュラムを輸入する際に「English」とあったのをそのまま「英語」と訳したバカが厚生省だか内務省だかにいたものと記憶するのだが、ほんとのところはどうだったかな。
今日の携帯電話:
そんなこんなで入院していると、携帯電話の電源ON/OFFが頻繁になる。たぶんそのせいだと思うのだけれども、SoftBankの816SHさんがお亡くなりになったのが木曜日でしたかね。電話帳だけはなんとかサルベージしたのだが、スケジュールがぜんぶトンだのは痛い。ってかそんなもんで間に合うスケジュール管理って中学生か私は。ええ、そんなもんです。
というわけで日曜日のライブの前にSoftBankのショップに寄ってみて、
- この場でほいほいと修理が可能ならば修理する、
- メーカー修理になるならやめといて新品を購入する(ポイントで)、
さて816SHを放り込んでいた携帯電話ケース(腰タイプ)には944SHさんは入らないことが判明した(あたりまえだ、重量比で倍だもんな)もので、後楽園ラクーアでクロックス純正の携帯電話ケースを買ってきました。ほんとは実靴に合わせたオレンジがよかったのだが、お店のお姉さんが「ない」と言う。「世の中にないんですか、このお店にないんですか?」と尋ねてみたら「おそらく地球上に存在しないと思います」(おもしろい人だ)と仰るので、赤いので我慢しておいた。つらつら眺めてみるとこいつはこいつでけっこう細やかな出来でおもしろいから、まあいいや。
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- 2010年10月25日(月曜日)、どんがらがっしゃん。
- 2010年8月の半ば(16日~23日)、すちゃらか週間。
- 2010年8月5日と6日(木曜日と金曜日)、ビオフェルミンも投入。