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徒然草むしり
嘘を! もっと嘘を!


2014年6月15日から7月27日: 入院43日間ダイジェスト。
経鼻栄養中測定器付き ※8月29日記す。
昨秋沖縄で拾ってきた膵炎は半年強に亙って出たりひっこんだりを繰り返していて、6月15日の日曜日にもまたぞろ腹が痛みだしたもので近所の某病院に行って、ブスコパンの点滴を打たれて痛み止めを貰って帰宅。帰宅はしたもののブスコパンとスルカインとロキソニンとセデスを服用してみても痛みがぜんぜんおさまらないうえにちょっと洒落にならないくらいに増悪してきた。ひょっとして近所の某病院は藪か? 土手か? 紐か? などと思いながら、夕刻からセカンド・オピニオンというわけでもなくて旧知の大病院に行ってみたらいきなりICUに放り込まれて絶対安静をかっくらう。当人は日帰りのつもりで行ってみたわけだし、先生が「ご家族に連絡を」と仰るのを「もう寝てるんじゃないかな」とか言って断ってみたり。翌朝目覚めたベッドサイドには父と弟と狛江の伯母がいてなにごとかと思ったのだが、致死率3割の厚生労働省指定の難病だったことを知ったのはそのまた1週間ほど後、一般病棟に移されてからのことだ。

そこからまたいろいろあって、退院できたのは43日後の7月27日のことでした。


今日のICU:

ふて寝 入院43日間というと長いようだが、最初の10日間くらいはたぶん麻酔薬の影響でラリっていて、記憶は曖昧だったりする。9日目の6月23日にツレがお見舞いにきてくださったのだが、そのへんの記憶も実は怪しい。あはははは。

大病院の救急外来には以前にも逆流性食道炎だか十二指腸潰瘍だかでお世話になったことがあって、しかし今回は膵炎の既往があることをお話しして、問診触診血液検査、単純X線にCTときて先生が「入院しなさい」と仰る。僕としては日帰り希望だったのだけれども、ブスコパンが効かなかったんだから入院適用の鎮痛剤でも打つのかなと思ったら「ICUですよ」と言われてちと驚く。そんな大層な病気でもなかろうにと思う間もなくあれよあれよとストレッチャーに乗せられて、地下通路から西病棟3階のICUに運び込まれる。

ICU(集中治療室)では絶対安静で、ちんこに尿道カテーテルを通されるのがほんとうに辛かったり、鼻から胃袋に管を通されて経鼻栄養でしばらく生きていたり、太股に中心静脈カテーテルを通すので美人看護婦さんに剃毛されて剃毛というのは剃るんじゃなくて刈るんだということを学んだり、バイタルモニターでいろいろ測られていたので呼吸を停めたりして遊んでいたら駆けてきた美人看護婦さんに怒られたり、といった感じか。

小便は尿カテが通っているので勝手に流れ出ていくのだが、キツかったのがウンコのほう。ちきしょうめ、点滴しか打ってねえのに糞が出やがる。本人はとくに危機感もないもので看護婦さんに「車椅子ならトイレ行けますし」とか「ベッドサイドにおまるを用意してくれれば自分でやりますから」とか言ってみるのだが、なんせあなた厚生労働省指定難病の死にかけ患者にそんなもん許可できるわけがない。けっきょくぎりぎりまで我慢してから専用器具を使ってベッド上で仰臥位のままぷりぷりとですね。ってか1日10リットルも輸液されているものだから下痢ですね。それで事後は看護婦さんにふきふきしてもらうのが、言っちゃなんだがなさけない。亡母は最期の3か月間くらいは、そういえば奇しくも同じ大病院で寝たきりだったのだが、この状態だったんだよなあ。そんなことはおくびにも出さなかったけど、辛かったろうなあ。

薬はなにを入れられていたのかよく知らないのだけれども、明らかに向精神薬は混じっていたのだろう、記憶は飛んでいたり混濁していたりする。眠っていて「ICUでスパゲッティにされて寝ている」という夢を見ていて、目覚めるとICUでスパゲッティにされている。あれはほんとうに夢だったのだろうか。7日目に一般病棟に移された筈なのだが、記憶のなかではICUと一般病棟のあいだに「白い部屋の3日間」というのが混じっていて、映画『2001年宇宙の旅』のラストの「ロココ調の白い部屋」があるじゃん、ああいう部屋に3日間くらいいたことに、僕の記憶のなかではなっている。大病院にそんな部屋はない。そんなところに移す理由もない。


今日の退院不可:

9日目の6月23日、経鼻栄養管を抜去、経腸栄養飲用に移行。
11日目の6月25日、中心静脈カテーテルと尿道カテーテルを抜去。
12日目の6月26日、車椅子からおりて自立歩行許可。
13日目の6月27日、重湯。
14日目の6月28日、入浴許可。
15日目の6月29日、内緒だが脱走して2マイルほどお散歩。
20日目の7月4日、翌週7月10日(26日目、火曜日)の退院を内示される。
24日目の7月8日、外出許可につき病院近所で散髪など。

June 15 to July 27, 2014 さすが大病院とて「あまりおとなしい患者ではない」ことはひとめで判ったらしくて、ICU搬入の段階で「暴れたら拘束衣オッケー」という書類に署名させられた。膵炎についてアルコール性の疑念があったので、そりゃ膵炎になるくらい飲んでるんだからアル中だべい、だったら禁断症状で暴れるんじゃね? という機序だったとおぼしいが、俺そういうアル中じゃねえしと言っても詮ないことだし証明する手だてもないので素直にサインはしておいたり、まあそういうこと。じっさい脱走してお散歩したりもしていて、しまいにゃ禁足くらったりしていたけれども、どちらかというとおとなしいほうだと思うんだけどなあ。いや、管理業務がそういうものであることは理解している。こっちに威張れるところもこれっぽっちもない。


7月2日(18日目)退院予定: 2日前の6月30日になって、肝機能の数値に異常があることが判明して退院中止。膵炎薬の影響による虞肝炎かな? ということで膵炎点滴を手加減して肝炎治療注射薬投下。

7月10日(26日目)退院予定: 許可をもらったお散歩後の7月8日に小さく腹痛があって、外出中になんか食ったり飲んだりしたりと痛くもねえ腹をさぐられるのも厭だなと思って看護師のザキさんにだけちょろっと言ってみたら、あたりまえなんだがあっという間に担当医に話が行って、とくに疑われることもなく「なんでやろ」ってな話にはなるんだが当然ながら退院中止。教授回診では「ふりだしに戻ったね」とか言われるが、そういうこと。

7月17日(33日目)退院予定: 直前の7月16日になって、経験則からすると膵臓とはまったく関係のない左下腹が痛む。「あらまた再発?」とか言われながらいろいろしているうちに、ずうっと平熱(36.5℃内外、むしろ低め)できた体温は38.5℃を記録。なかなかに病人らしい。発症初期は腸閉塞? 偽膜性腸炎? やっぱり膵炎? みたいな感じで時々刻々といろいろ説明していただけるのだから、いい病院なんだと思う。
けっきょく憩室炎(大きく見ればナントカ腸炎)っぽくて、消炎鎮痛剤(ソセアタ)とか投与されて3日間くらいで済んだのかな。とうぜん退院中止。

7月22日(38日目)退院予定: 21日の朝からあった腹痛は、翌日には息が停まるほどの激痛がきて、救命救急セクションにストレッチャー地下道爆走主治医の先生疾走付きで移送される。これは普通に、普通というとヘンだがいまさら驚かない膵炎再発だったんじゃないかな。はい、退院中止。

7月27日(43日目)退院予定: ほんとは前日にちょっとヤバい傾向がないでもなかったのだけれども、先生もよほど追い出したかったものとみえて、追われるようにして(嘘だよ)退院、できました。前日から看護婦さんたちに「いいから動かないで」「じっとしていて」と言われていて、前夜には看護婦さんたちが神に祈っていたらしい。ああ、やっと終わった。

ここまでくるともはや祟りの部類で、看護婦さんたちにも気の毒がられる始末でやんの。僕の推理では大病院に憑いた地縛霊のお姉さんに惚れられたということになっていたのだが、僕に惚れた看護婦さんが一服盛ってるんじゃねえの? という意見もあったことは併記しておく。んなわきゃない、みんな可愛いけどな。


思い出したので書いておくと、退院はしたけど治ったわけじゃなくてただの寛解(症状はおさまっているけれども、いつまた痛み始めてもおかしくない状態)だからね、とお医者さんたちからも看護婦さんたちからも念は押されている。もののインターネットによると半年ほどで全快する、という記述もあるがあまり信用はしていない。こういう病気と折り合いをつけていくのはけっきょく個人個人であろうとは考えているし、基礎的な生活/食事習慣はもちろん遵守するが、目標とすべきは「俺なりの快癒」であるらん。僕の場合は、それは「飲食生活の充実」という方向になるだろう。

今日のお勉強:

なんつったって重症急性膵炎である。厚生労働省指定の難病で、ICU搬送時の致死率が3割であったという説もある。そりゃ家族も呼ばれるわけだ。

既往としては、昨秋にちょっと沖縄に遊びに行って、到着するなり脂っこい沖縄料理を美味い美味いとがつがついただいて、ついでに泡盛をここを先途とじゃぶじゃぶ飲みまくって、翌朝になったら腹が痛む。宿の近所の医院に行ったらここも藪だか土手だか紐だったのかなあ、ちっとも痛みが治まらないので総合病院を紹介していただいて、行ってみたら沖縄のお医者さんが嬉しそうに「りびさん、入院しましょう!」ってんで沖縄に着くなり1週間の入院というギャグを飛ばしてしまいましたとさ。ここでは「重症」の付かない急性膵炎の診断だったが、そういえばやはりICUだったな。

  1. 2013年11月、第一次入院:
    沖縄に遊びに行った初日に脂っこい沖縄料理をどっさり食べて泡盛をどっぷり飲んで、翌朝から腹痛で沖縄の大病院に入院一週間。

  2. 2014年2月、第二次入院:
    痛かったり痛くなかったりするのを誤魔化して生きていたのだけれども、さすがに辛抱たまらず中野中病院に入院一週間。

  3. 2014年4月、第三次入院:
    酒も飲んでないのにまた痛んで、中病院で入院適応にはなったのだが万床、近所の横病院に収容。入院一週間。

  4. 2014年5月、第四次入院:
    酒やめても関係ねえじゃんと思ってちびちびやっていたら案の定増悪させる馬鹿。中病院にて入院二週間。
馬鹿を晒すわけなのだが「ときどき痛い程度」の虞病だと思っていて、「なんかもう治ってね?」とか言いながらやはりときどき痛む。大病院はちと敷居が高いし小回りも効かないもので、中野の中病院を当て込んでしばらく通って、その界隈で10日間ほどの入院を3回ほどしている。たしか沖縄から数えて通算2回目と3回目の入院のあいだ、1か月間ほどは完全に禁酒していたのだが、やはり再発したので阿呆らしくなって禁酒はやめちゃったりなんかして。後から考えるとこのときは食事の糖分がけっこう増えていた、かもしれない。3回目と4回目のあいだは、ちょっと節酒をしてみたぶん食事の量が増えたものだからやはり再発した。半端な知識で糖質を減らしたぶん、ベーコンと白菜の鍋とかのわりと「脂もの」ばっかり食べていたからなあ、そりゃ膵臓も張り切るわい。

いま「膵臓が張り切る」と書いたが、大病院のPC室を勝手にお借りして調べた程度の浅薄な知識では、膵炎というのはまあそういう病気なんだな。

ざっくり、膵臓というのは消化酵素を分泌する臓器である。さて、なにかの拍子に膵臓の箍だか螺子だかが外れたと思いない。人体が食糧/飲料を摂取すると、膵臓さんはそれを感知して「さあ、出番だ」と思う。それで張り切って消化酵素を分泌するわけだが、なにしろ箍が外れているものだから消化酵素を出しすぎて、自分で自分を溶かしてしまう(炎症を出来する)。これが痛むわけだ。この話をツレにしたら「あんたの膵臓、バカ?」と決めつけられたのだが、言い返せませんでしたとさ。ついでに言うと内臓はぜんぶ繋がっているので、ついでに膵臓周辺の臓器も溶かしちゃったりする。この膵臓と膵臓周辺がやたらと溶け始めているのが所謂「重症」で、なぜそこまで膵臓さんが大暴れするのだかという原因は判っていない。判っていないので厚生労働省指定の難病とされているし、じつは治療法も確立されていないんじゃないかな。されていたら指定難病なんかになるわきゃない。

セブンイレブン鶏肉の鍋 ちなみに、膵臓さんに「よっしゃ、出番だ!」と思わせる食物/飲料の代表格が脂と酒なんだな。ついでに書いておくと、膵臓はインシュリンの分泌でも活躍しているものだから、糖分の摂取もよくないらしい。僕の場合はむしろ酒はあまり関係なくて、たぶんイナバの缶詰カレーをカップヌードルに放り込んで食べると脂質量が40 gくらいになるのだが、いまそんなものを食べたら一発でものすごく痛む自信がある。しかたがないので今回の退院後は脂質摂取量5 g/日くらいで暮らしていて、これなら蒸留酒ならたしょう飲んでも平気な感じ(醸造酒は必ず糖分を含むのでよくない、らしい)。食餌療法についてはまだ初心者だもので、毎日湯豆腐かチクワですよ。ヘタクソながら高校生時代から自炊派を張っているもので、ゆくゆくはラーメンとかカレーとかを、油脂分を徹底的に省いて作ってみたいものだ。


今日の看護婦さん: 一般病棟days.

June 15 to July 27, 2014 さきにごめんなさい、ICU搬送から1週間目に一般病棟に移ったのだが、なにしろその時点でラリっていたものだから一般病棟生活規律に関するムンテラ(説明)を、看護婦さんから受けた筈なのだがまったく覚えていない。8人部屋にいたものだから同室の患者さんが説明を受けているのを「へえ」とか思いながら聞いていたわけだけど、それもずいぶん後のことで「買い食いしちゃ駄目」とか「勝手にどっか行っちゃ駄目」とか知らんかった。その問題でいちど病院を追い出されそうになったのだが、そこは黒歴史なのでここには書いてやらん。想像すればだいたい判るようなことだけれども。

というわけで一般病棟に34日間も居すわっていたもので、もう住んでるようなものだな。昨秋に亡くなった母が同じ病院にながくお世話になっていたもので病院の構造は熟知しているし、「勝手にどっか行っちゃ駄目」という規範は存じあげなかったものでちょっと元気になるとうろうろしているし、あまりいい患者ではなかったとは思う。すみません以後気をつけます。で、とりあえず電動ベッドを改造して動作速度を上げて、ついでにリモコンの場所が気に入らなかったもので右コネクタから左コネクタに変更する俺。退院時に復旧しておいたから勘弁してください。


看護婦さん(本物) なにしろ日帰りのつもりで行った大病院なので、暇つぶしグッズがえーと、と思ったらiPhone4Sの電源ケーブルがたまたま(なんでそんなものがあったのかいまだに判らない)ジーンズのポケットに入っていたのは、助かったかな。ICUでどこから電源をとったのか判らないのだけれども、入院4日目の6月18日にはTwitterで知人に状況報告をした記録が残っている。

あとは要するにベッドでごろごろして「ごはんまだかなあ」と言っているだけの生活で、ときどきシャブ中の発作みたいに歩きたくなって、病棟をうろうろしたり屋上に出てみたり、許可をもらって本部棟のPC室で調べ物をしてみたり、調子のいいときは近所の公園まで行ってみたり。43日間にわたってとうぜん飲酒はなしで、煙草は一般病棟入床時に所持しているのがばれてものすごく怒られたので、まあないようなもん。ってか喫煙がみつかったら追い出されるのだそうで、こりゃたいへんだ。ってか追い出されかけた。

一般病棟の看護婦さんたちみなさんたいへんな美人揃いで、激務であろうにみなさん笑顔を絶やさず、優しくて親切。でもまあ僕なんかは手のかからんほうだろうとは思うし、けっこう放っておかれていたかもしれない。文句をつける筋合いはない。ちょっと困ったというか、まだあまり動いてはいけない頃に「りびさん、清拭します?」って聞いてくれるのはありがたいのだが、いかい仕事とはいえだな、顔見知り程度の綺麗なお姉さんにちんこ拭かれるとかないわ。金輪際ないわ。そんなことで身体のほうは自分でおしぼりを作ってふきふきして、洗面所で洗髪だけお願いしたような次第。どのみち動作も限られているし、病棟は28℃固定で汗もかかないので入浴の必要性もそんなにはないのね。ちんこの話が出たついでに書いておくと、病棟のお風呂は早い者勝ちの予約制で、1回30分。風呂場はおそらく80床ほどのフロアにひとつなので、予約はけっこう埋まっているし入浴介助の患者さんもいらっしゃるので、僕はなるべく遠慮して深夜にベッドのへんで自分で拭き拭きしておりましたとさ。

炎症系の内臓疾患なので、血液検査はわりと頻回にある。血管炎症製造薬レミナロンを含む点滴静注(静脈注射)のライン確保も多くて、必然的に静脈穿刺は多い。僕の静脈は、かつての赤十字献血なんかでは割と「刺しやすい」と好評だったのだけれども、なにしろ点滴栄養だの経鼻栄養だので10日間がところも過ごした後だもので、血管が痩せましたかね。なんか穿刺が難しいほうの代表格みたいになっちゃって、けっこうベテランの先生がぷすぷすぷすぷすと4回ほど失敗してから「上手な先生」を呼びにいったり、看護婦さんが30分かかってぷすぷすぷすぷすと泣きそうになりながらラインを確保してくれたり、けっこう医学の進歩に貢献しちゃったような気はする。
退院前から左手フォアに軽い痺れが出てきて、たぶん注射針が神経に触れたね。病院のPCで調べたところでは「こういうのはすぐ治る」というので安心していたのだが、退院24日目にしてフォアの痺れがだんだん増悪&慢性化してきているので、次回通院時に神経内科でも紹介していただこうとは思っている。たぶん穿刺100回にはなっていると思うので、まあしょうがねえや。


あとは一般病棟についての雑談で、と。

入院中の実世間とのつながりはほぼTwitterのみで、なにしろ暇なのでけっこう書き込みもしていたと思う。たまさかお見舞いにきてくださる暇なご奇特なかたもいらして、なんでか全員ミュージシャン。
クラシカルのクロマチック・ハーモニカの先生が大量のタオルとお花をもっていらして、タオルはとっても助かりました。お花はデイルームに展示して、けっこう2週間くらいも保ったんじゃないかな。フリージャズ系なのかな、ベーシストさんは大量のSF関連の書籍を持参してくださって、かなり暇が潰れました。けっきょく書籍交換会みたいになっちゃったけどな。ロック系美人ボーカリストさんには来訪予告の時点で「あれとこれとそれ買ってきて」と無茶なお願いをして、こちらは洋書を差し入れていただいて、あと秘密の煙草とお裁縫セットを頂戴しました。いちおう所属している合唱団のエース級トップテノールの先輩もタオルを持参くださって、いろいろと伺えて面白かったの。ブルーグラスとアイリッシュ・フィドルの山崎規夫先輩は、サンチャゴ田村から安く譲り受けた楽器の自慢をするだけして帰りました。1曲弾いてもらえばよかったんだ、たぶん上階に小児病棟もあった筈だし。
横病院入院時にお見舞いに来てくださったのも、そういえばクラシカルのベース歌手、ロックのギタリスト、フリージャズ系のベーシストであらせられた。僕の立ち位置ってけっきょくそこなんですかね。

iPhoneがあって暇つぶし的には助かったのだが、前回入院時にはノートPCとWi-Fiを持ち込んでいたし、前々回にもiPhone用の外付けキーボードは持ち込んでいた。今回もこんなに長引くことが予め判っていれば、いっそ自主的にカリキュラムを決めて英語でもドイツ語でもやっときゃよかったんだよな。あるいは譜面をどしどし書くのでもよかった(念のために書いておくと、ある程度楽器が弾ける場合には、譜面を書くのに楽器は要らない)。次回入院があるならば、いろいろと持ち込んでみたいものだとは考えている。

お見舞いには親族の父と伯母も来てくれていた。ある日、ちょっと前にやった心臓カテーテルの術後検査ということで、叔母が大病院に1泊入院するという。入院16日目、ICUから一般病棟に移って9日目のことだ。同じ病院に叔母がいるのに鹿十もないよな。ということで、当時はまだひとり歩きが認められていなかったので、叔母の入院当日に看護婦さんと一緒に入院事務まで行って病室を捜してみる。え? 321号室? 隣の部屋じゃないですか、と看護婦さんが笑っていて、病室に戻ってみたらお隣の部屋に叔母と、伯母と父がいた。

外出許可が出たおりに、差し歯の調子がよろしくなかったもので先生に「ついでに歯科行ってきていいスか?」とお伺いを立てたら、理由は判らんが入院中は余所のお医者さんに行っちゃいけないんだってね。近所の公園までお散歩するついでに、インターネットでみつけた通り道の歯医者さんに寄りたかっただけなんだけどな、けっきょく差し歯はじぶんでとんてんかんとんてんかんして直しました。

僕とは関係ない話なのだが、ある日お向かいのベッドにかなり重篤な運動障害のありそうな爺さまが入ってこられた。食事も排泄も介助が必要で、ある日の給食に素麺が出たのにお箸がない、どうしましょうと介助の看護婦さんと爺さまが話しているのが聞こえた(そりゃ聞こえるさ)ものだから、割り箸を差し入れたりはしていた。この爺さまが、まだら惚けっていうの? ナースコールの使い方を覚えるまでに3日くらいかかって、深夜になって爺さまが「看護婦さーん」と呼んでいるのが聞こえるものだからこっそりナースセンターまで看護婦さんを呼びにいったりもしていた。このへんは看護婦さんと僕だけの秘密だが。
これも爺さまの入院当初の数日間のことだが、深夜に看護婦さんを(僕を巻き込んだり巻き込まなかったりして)呼んで、「ここはどこですか」「私はなぜここにいるのでしょう」などと訊ねている。看護婦さんが「これこれで倒れられて、これこれでここは大病院ですよ」と解説して「ああ、そうですか」とお返事などなされているのだが、看護婦さんを呼ぶ段階から質問に納得してお返事なさるところまで、口調も声音もいかにも落ち着いていらっしゃるのね。いや、たぶん「夜中に目を覚まして、真っ暗な知らない部屋でベッドに寝かされていた」ら、びっくりしたり怒ったりパニック起こしたり、って言っちゃなんだがありがちじゃねえの? ああいう爺さまになりたいものだと思ったことでした。そこまで長生きしねえけどな。
娘さんやお孫さんもけっこうな頻度でいらしていて、いいご家族をお持ちのようでもあった。1週間ほどして、爺さまは退院ではなく転院されていった。仄聞するところではターミナルケアとかではなくて、手術がうまくいったので安静療養のために「ちょっといいところ」に移られたそうな。お元気になられますように。

そんなわけで8人部屋に居すわっていたわけだが、お隣のベッドのおじさんの見舞いにいらしたおばはんは部屋に入るなり「なに、こんな部屋?」と聞こえるような声量で言うてはって、まる聞こえだけどおそらく誰も怒ったりゃせんけど、失笑くらいはしていたんじゃないかなあ。たとえば個室万床ならば手術や施術を優先して大部屋に入ってくる患者さんは多い。あるいは、僕は業者さんの清掃時にナースコールのプラグを抜かれていたのだが、あれが個室だったら急変時には致命傷になりかねない。ってかなるね。ついでに書いておくと、僕のお隣の部屋に入った伯母が看護婦さんを呼ぼうとしたらナースコールが壊れていて、たまたま僕が通りかかって様子をみなければ「寂しかった」のだそうな。いろいろあるんだよ、なあおばはん。
もとよりおばはんがおじさんの身をおもんぱかっていたことは疑わないけどさ、山袴だったモンペも今やモンスター・ペアレントであり、病院ではモンスター・ペイシェントを指す。おそらくは「ひとにどう思われるのかということに無神経」で「言いたいことをぜんぶ言っちゃう」ことに原因があるのだろうとは思うし、けっこういい例を拝見させていただいたとは思う。おい、俺に言われてるよ。

8人部屋だからということなのだが、サッカーに興味のない僕はすやすやと眠っていて、2014年7月14日の05:00くらいに周囲のどよめきで起こされた。なんかワールドカップで点を入れたんだか外したんだか入れられたんだかしたんだと思う。まったく知らん。知らんが、みんなが揃ってトイレに行くのが珍しくて面白かったかもしれない。つまり同室の皆さんはベッドサイドのテレビで観ていたんだろうなあ、しょうがないから試合終了まで僕もベッドサイドのテレビで眺めておりましたとさ。なんだよ、みんな観てるんだったらイヤホンいらねえじゃん。

入院時に呼ばれて医師と面談した父との面談が、退院時にも医師側からけっこうしつこく要求されて実現の運びとはなった。俺ももうけっこうなおっさんだし世帯主だし納税こそあれだが社会人だしそんな必要もなかろうとも思ったのだが、たぶん入院時に「アル中患者の入院につき保証人が必要」という話になったんじゃないかな、と邪推はしている。統計的には厚労省指定難病たる重症急性膵炎はレアな病気なのでアルコール依存症なりを疑われるのはある意味でしょうがないんだけど、これも統計的には重症急性膵炎罹患者に占めるアル中の割合は0.6%だぞ。

June 15 to July 27, 2014 退院時の担当で見送ってくれた看護婦のミサトちゃんは屋上散歩時にも看視してくれていて、西新宿方面を眺めていたら「あたし、東京って判んないんですよね」と仰るのであれが代々木のNTT、それから都庁、コクーンといちいちご案内してさしあげた。勤務先の建物の屋上に上がったこともないとか僕としてはあり得ないのだが、まあそういうことはあるでしょう。それでほんとはいちど浅草か錦糸町あたりから始めて東京タワーから六本木、渋谷から新宿くらいのルートで東京案内でもして差し上げたく思ったのだが、うっかりロマンスでも生まれると困る(僕は困らない)ので、現在に至る。


今日の予後:

笹身素焼き山葵添え 退院後32日目たる8月28日の朝になる。

幸いにして32日間で、腹が痛んだのが5回くらい。いずれも短期間で快癒して、治ってないのは快癒って言わないね、いずれも短時間でおさまって、まあなんとかやっちょるわ。

食事制限というか食餌療法があり、脂質制限はかなり厳密に守っている。推奨1日量が脂質30~50 gのところを5 g/日くらいで廻しているんじゃないかな。脂質制限のほかにも飲酒制限、満腹制限とかがあるけど、まあなんとか。



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08/29のツイートまとめ
Reviken_Tokyo

半身は山葵を乗せて、半身はなんかよく判んないハーブで焼いてみた。 http://t.co/gX3TC3tF8j
08-29 23:11

あまりいいササミではなかった。 http://t.co/LITnwiiy3I
08-29 23:10

ここでくるか(笑)。 RT @mitsuru_asari: 堪らん(@ ̄ρ ̄@)b #被弾 #hidan_food RT @Reviken_Tokyo: まったく美味そうに見えないのだが、挽肉トマトソースに霧下蕎麦を乗せてみたら美味いhttp://t.co/saJt80x2Ck
08-29 23:01

これは美味そうだろうか。脂質制限のある私は、もうこいつを食べることができない。 http://t.co/UiI5axa8rB
08-29 22:58

これは美味そうだろうか。 http://t.co/KBzlWHx3NF
08-29 22:55

これは美味そうだろうか。 http://t.co/YD8nu8MtLc
08-29 22:53

これは美味そうだろうか。 http://t.co/DwZsdyEB9Q
08-29 22:53

まったく美味そうに見えないのだが、挽肉トマトソースに霧下蕎麦を乗せてみたら美味いんだわこれが。しかしまったく美味そうに見えないんだわこれが。なんでやねん。 http://t.co/saJt80x2Ck
08-29 22:44

テレビドラマを眺めていたら、再放送でもないのに2本連続で犯人が東ちづるだった。さては悪人だな、東ちづる(そんなことはない
08-29 22:31

@solo_el_fin まったく関係ないけど先日のブルース・セッションで『スキスキソング』を歌ったのだが、「ベースはDmでウワモノはDメジャーで」とか言っていた私はなんか間違ってるっぽいのです。
08-29 22:27

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