けっきょく金曜日の朝に大病院から帰宅して寝て起きて、といった感じで大事をとって3日間ごろごろしている感じです。なんだかんだで母が寝たきりになったり入院したり亡くなったりしているうちに2年間ほどもほぼ無職だしなあ、いまさら焦ってもしょうがねえや。正確には昨年正月8日に母が転んで腰をいわしてほぼ寝たきりになって、僕は介助もあるから実家にほぼ住み込みになって、突発で大病院に行くぞ事件とかが頻発して仕事にゃなりませんでしたな。昨秋に母が頑張ったわりにはあっけなく亡くなって、いきなり暇になったものだから沖縄まで遊びにいったら沖縄料理と泡盛で急性膵炎を発症して入院、そのあと半年ほどじたばたして、先月の最後の退院以来は寛解期にある、という感じなのね。
まあいいや、なるようになるさ。
今日の大自然:
ここ1週間くらいはにわかに涼しくなってきて、この夏は寝床のエアコンが壊れているものだから居間のラグで寝ていたのだが、ようやく寝所のお蒲団で眠れるようになりました。次の夏までには寝床のエアコンと風呂釜は修繕せんとならんな。よし、目標ができた。
写真は、前世紀末にこの地に越してきた時点から知己を得ている吉右衛門さんである。このかたは啓蟄前から家の近所を歩き回っておられて、夏が終わっても平気な顔をして11月くらいまでパトロールを続けておられる。ほんとに蛙なのかとときどき思うが、どう見ても蛙さんだ。
今日の健康:
でさて、気を取り直して、と。
ってか取り直すようなことすんな、と。はっはっは。
日曜日の午後から、やる気はないんだけど身体は動かさねえとなあと思って、2年間ほど放置してあった食器洗い乾燥機をお掃除して使えるようにしてみました。あとパッキンの壊れている風呂釜の修繕をしようと思ったんだけど力及ばず、まあシャワーは使えるようにしたからこれはこれで進歩だと思っうことにして、先日から暴走続きだったPCのキーボードのメンテナンスをして、夕刻からまたぐったりとするわけ。
あとはお洗濯だが、これは秋晴れを待つとしましょう。
今日のごはん:
退院からめでたく1か月を経過した虞膵炎食餌療法の減脂食は順調に続いていて、脂質5 g/日のペースは維持しながら、1日1食か2食だったものをなんとか3食というか、3食的な感じにはもってきている。朝蕎麦、昼蒟蒻、夜がポトフに蒟蒻とかそんな感じだけど、まあいいでしょう。退院後のメインがレトルトお粥と竹輪だったところから、だんだん鶏ササミとか牛スネ肉とか冷凍海老とかが参入してきて、いい感じです。ほんとうは毛蟹とか食いたいんだけど、予算が追いつかねえ。まあしょうがねえ。
今日の冷蔵庫には、あと鶏笹身と冷凍海老と冷凍菠薐草と冷凍ブロッコリとモヤシがあって、……モヤシ? 素直に味噌汁にするとして、油揚が使えないのが痛いかも。ならば蒸しててきとうに味付けして。胡麻油が使えないのが痛いかな、などと考え込んでいる日曜日の夜。
Reviken_Tokyo
@K_GoldenEgg え? なになに?
08-30 14:28罹病で体力がないので最寄りの生協に通っているのだが、今日は牛スネがなかったので冷凍海老をだな。あと青物野菜が少しあるのだが、さてどうしたものだろうか。
08-30 14:10@solo_el_fin @reona32 @sahoobb (熟さないことですまんが)こんなもん個別対応ですよね。AKB48だって作曲/編曲技法は素晴らしいことがあるし、ヒップホップだっていいものはある(ネガ出自で申し訳ない)わけだし。英語上手な奴ほど日本をコケにするアホだし。
08-30 13:51NHK総合で宇宙エレベーターの昇降デバイス実験をやってて、元機械小僧(電話級アマチュア無線技士をもってる。発行者は当時郵政大臣だった田中角栄)としてはものすげぇ楽しい。中坊時分にいろは坂をケッタで下ってブレーキシューをぜんぶ溶かしたのを思い出しました。
08-30 11:54「穀潰し」には違和感があるなあ。俺少食だけど穀潰しだし、「石潰し」とも書きたいし。 RT @bootdale: RT @nakashima723: 「ごはんをたくさん食べる人」をあらわす日本語リスト http://t.co/qsgpsdEtmZ
08-30 11:50@solo_el_fin 意味なく、ロッキー階段にて。駆け上がったら負けだと思いました。 http://t.co/WC0vgFd5Xq http://t.co/VW1cJ8oifG
08-30 11:40さりげにテレビでNHKを点けたら、なんか「宇宙エレベーター大会」ってのをやってる。なにそれちわきまゆみ肉踊るぜ!
08-30 11:35@solo_el_fin そういえばアメリカで思っくそ日本語で歌った『上を向いて歩こう』とかの録音があるなあ。ひとの迷惑省みず、あとでYouTubeあたりにあげときますわ。
08-30 11:31成文堂さんの出版部では、昭和もいいところの学生時代にまだ黎明期だった電算写植のワープロ打ちバイトでずいぶん稼がせていただいた(機械はOASYS100Fかなんかで、大隈脇ドラード早稲田のコピージャスト早稲田で借りていた)。本体はお元気なようでなにより。@seibundoh_wsta
08-30 11:30@bootdale あ゛! その「4=」に気づかない俺って……。ありがとうございました。
08-30 11:25

昨秋沖縄で拾ってきた膵炎は半年強に亙って出たりひっこんだりを繰り返していて、6月15日の日曜日にもまたぞろ腹が痛みだしたもので近所の某病院に行って、ブスコパンの点滴を打たれて痛み止めを貰って帰宅。帰宅はしたもののブスコパンとスルカインとロキソニンとセデスを服用してみても痛みがぜんぜんおさまらないうえにちょっと洒落にならないくらいに増悪してきた。ひょっとして近所の某病院は藪か? 土手か? 紐か? などと思いながら、夕刻からセカンド・オピニオンというわけでもなくて旧知の大病院に行ってみたらいきなりICUに放り込まれて絶対安静をかっくらう。当人は日帰りのつもりで行ってみたわけだし、先生が「ご家族に連絡を」と仰るのを「もう寝てるんじゃないかな」とか言って断ってみたり。翌朝目覚めたベッドサイドには父と弟と狛江の伯母がいてなにごとかと思ったのだが、致死率3割の厚生労働省指定の難病だったことを知ったのはそのまた1週間ほど後、一般病棟に移されてからのことだ。
そこからまたいろいろあって、退院できたのは43日後の7月27日のことでした。
今日のICU:
入院43日間というと長いようだが、最初の10日間くらいはたぶん麻酔薬の影響でラリっていて、記憶は曖昧だったりする。9日目の6月23日にツレがお見舞いにきてくださったのだが、そのへんの記憶も実は怪しい。あはははは。
大病院の救急外来には以前にも逆流性食道炎だか十二指腸潰瘍だかでお世話になったことがあって、しかし今回は膵炎の既往があることをお話しして、問診触診血液検査、単純X線にCTときて先生が「入院しなさい」と仰る。僕としては日帰り希望だったのだけれども、ブスコパンが効かなかったんだから入院適用の鎮痛剤でも打つのかなと思ったら「ICUですよ」と言われてちと驚く。そんな大層な病気でもなかろうにと思う間もなくあれよあれよとストレッチャーに乗せられて、地下通路から西病棟3階のICUに運び込まれる。
ICU(集中治療室)では絶対安静で、ちんこに尿道カテーテルを通されるのがほんとうに辛かったり、鼻から胃袋に管を通されて経鼻栄養でしばらく生きていたり、太股に中心静脈カテーテルを通すので美人看護婦さんに剃毛されて剃毛というのは剃るんじゃなくて刈るんだということを学んだり、バイタルモニターでいろいろ測られていたので呼吸を停めたりして遊んでいたら駆けてきた美人看護婦さんに怒られたり、といった感じか。
小便は尿カテが通っているので勝手に流れ出ていくのだが、キツかったのがウンコのほう。ちきしょうめ、点滴しか打ってねえのに糞が出やがる。本人はとくに危機感もないもので看護婦さんに「車椅子ならトイレ行けますし」とか「ベッドサイドにおまるを用意してくれれば自分でやりますから」とか言ってみるのだが、なんせあなた厚生労働省指定難病の死にかけ患者にそんなもん許可できるわけがない。けっきょくぎりぎりまで我慢してから専用器具を使ってベッド上で仰臥位のままぷりぷりとですね。ってか1日10リットルも輸液されているものだから下痢ですね。それで事後は看護婦さんにふきふきしてもらうのが、言っちゃなんだがなさけない。亡母は最期の3か月間くらいは、そういえば奇しくも同じ大病院で寝たきりだったのだが、この状態だったんだよなあ。そんなことはおくびにも出さなかったけど、辛かったろうなあ。
薬はなにを入れられていたのかよく知らないのだけれども、明らかに向精神薬は混じっていたのだろう、記憶は飛んでいたり混濁していたりする。眠っていて「ICUでスパゲッティにされて寝ている」という夢を見ていて、目覚めるとICUでスパゲッティにされている。あれはほんとうに夢だったのだろうか。7日目に一般病棟に移された筈なのだが、記憶のなかではICUと一般病棟のあいだに「白い部屋の3日間」というのが混じっていて、映画『2001年宇宙の旅』のラストの「ロココ調の白い部屋」があるじゃん、ああいう部屋に3日間くらいいたことに、僕の記憶のなかではなっている。大病院にそんな部屋はない。そんなところに移す理由もない。
今日の退院不可:
9日目の6月23日、経鼻栄養管を抜去、経腸栄養飲用に移行。
11日目の6月25日、中心静脈カテーテルと尿道カテーテルを抜去。
12日目の6月26日、車椅子からおりて自立歩行許可。
13日目の6月27日、重湯。
14日目の6月28日、入浴許可。
15日目の6月29日、内緒だが脱走して2マイルほどお散歩。
20日目の7月4日、翌週7月10日(26日目、火曜日)の退院を内示される。
24日目の7月8日、外出許可につき病院近所で散髪など。
さすが大病院とて「あまりおとなしい患者ではない」ことはひとめで判ったらしくて、ICU搬入の段階で「暴れたら拘束衣オッケー」という書類に署名させられた。膵炎についてアルコール性の疑念があったので、そりゃ膵炎になるくらい飲んでるんだからアル中だべい、だったら禁断症状で暴れるんじゃね? という機序だったとおぼしいが、俺そういうアル中じゃねえしと言っても詮ないことだし証明する手だてもないので素直にサインはしておいたり、まあそういうこと。じっさい脱走してお散歩したりもしていて、しまいにゃ禁足くらったりしていたけれども、どちらかというとおとなしいほうだと思うんだけどなあ。いや、管理業務がそういうものであることは理解している。こっちに威張れるところもこれっぽっちもない。
7月2日(18日目)退院予定: 2日前の6月30日になって、肝機能の数値に異常があることが判明して退院中止。膵炎薬の影響による虞肝炎かな? ということで膵炎点滴を手加減して肝炎治療注射薬投下。
7月10日(26日目)退院予定: 許可をもらったお散歩後の7月8日に小さく腹痛があって、外出中になんか食ったり飲んだりしたりと痛くもねえ腹をさぐられるのも厭だなと思って看護師のザキさんにだけちょろっと言ってみたら、あたりまえなんだがあっという間に担当医に話が行って、とくに疑われることもなく「なんでやろ」ってな話にはなるんだが当然ながら退院中止。教授回診では「ふりだしに戻ったね」とか言われるが、そういうこと。
7月17日(33日目)退院予定: 直前の7月16日になって、経験則からすると膵臓とはまったく関係のない左下腹が痛む。「あらまた再発?」とか言われながらいろいろしているうちに、ずうっと平熱(36.5℃内外、むしろ低め)できた体温は38.5℃を記録。なかなかに病人らしい。発症初期は腸閉塞? 偽膜性腸炎? やっぱり膵炎? みたいな感じで時々刻々といろいろ説明していただけるのだから、いい病院なんだと思う。
けっきょく憩室炎(大きく見ればナントカ腸炎)っぽくて、消炎鎮痛剤(ソセアタ)とか投与されて3日間くらいで済んだのかな。とうぜん退院中止。
7月22日(38日目)退院予定: 21日の朝からあった腹痛は、翌日には息が停まるほどの激痛がきて、救命救急セクションにストレッチャー地下道爆走主治医の先生疾走付きで移送される。これは普通に、普通というとヘンだがいまさら驚かない膵炎再発だったんじゃないかな。はい、退院中止。
7月27日(43日目)退院予定: ほんとは前日にちょっとヤバい傾向がないでもなかったのだけれども、先生もよほど追い出したかったものとみえて、追われるようにして(嘘だよ)退院、できました。前日から看護婦さんたちに「いいから動かないで」「じっとしていて」と言われていて、前夜には看護婦さんたちが神に祈っていたらしい。ああ、やっと終わった。
ここまでくるともはや祟りの部類で、看護婦さんたちにも気の毒がられる始末でやんの。僕の推理では大病院に憑いた地縛霊のお姉さんに惚れられたということになっていたのだが、僕に惚れた看護婦さんが一服盛ってるんじゃねえの? という意見もあったことは併記しておく。んなわきゃない、みんな可愛いけどな。
思い出したので書いておくと、退院はしたけど治ったわけじゃなくてただの寛解(症状はおさまっているけれども、いつまた痛み始めてもおかしくない状態)だからね、とお医者さんたちからも看護婦さんたちからも念は押されている。もののインターネットによると半年ほどで全快する、という記述もあるがあまり信用はしていない。こういう病気と折り合いをつけていくのはけっきょく個人個人であろうとは考えているし、基礎的な生活/食事習慣はもちろん遵守するが、目標とすべきは「俺なりの快癒」であるらん。僕の場合は、それは「飲食生活の充実」という方向になるだろう。
今日のお勉強:
なんつったって重症急性膵炎である。厚生労働省指定の難病で、ICU搬送時の致死率が3割であったという説もある。そりゃ家族も呼ばれるわけだ。
既往としては、昨秋にちょっと沖縄に遊びに行って、到着するなり脂っこい沖縄料理を美味い美味いとがつがついただいて、ついでに泡盛をここを先途とじゃぶじゃぶ飲みまくって、翌朝になったら腹が痛む。宿の近所の医院に行ったらここも藪だか土手だか紐だったのかなあ、ちっとも痛みが治まらないので総合病院を紹介していただいて、行ってみたら沖縄のお医者さんが嬉しそうに「りびさん、入院しましょう!」ってんで沖縄に着くなり1週間の入院というギャグを飛ばしてしまいましたとさ。ここでは「重症」の付かない急性膵炎の診断だったが、そういえばやはりICUだったな。
- 2013年11月、第一次入院:
沖縄に遊びに行った初日に脂っこい沖縄料理をどっさり食べて泡盛をどっぷり飲んで、翌朝から腹痛で沖縄の大病院に入院一週間。 - 2014年2月、第二次入院:
痛かったり痛くなかったりするのを誤魔化して生きていたのだけれども、さすがに辛抱たまらず中野中病院に入院一週間。 - 2014年4月、第三次入院:
酒も飲んでないのにまた痛んで、中病院で入院適応にはなったのだが万床、近所の横病院に収容。入院一週間。 - 2014年5月、第四次入院:
酒やめても関係ねえじゃんと思ってちびちびやっていたら案の定増悪させる馬鹿。中病院にて入院二週間。
いま「膵臓が張り切る」と書いたが、大病院のPC室を勝手にお借りして調べた程度の浅薄な知識では、膵炎というのはまあそういう病気なんだな。
ざっくり、膵臓というのは消化酵素を分泌する臓器である。さて、なにかの拍子に膵臓の箍だか螺子だかが外れたと思いない。人体が食糧/飲料を摂取すると、膵臓さんはそれを感知して「さあ、出番だ」と思う。それで張り切って消化酵素を分泌するわけだが、なにしろ箍が外れているものだから消化酵素を出しすぎて、自分で自分を溶かしてしまう(炎症を出来する)。これが痛むわけだ。この話をツレにしたら「あんたの膵臓、バカ?」と決めつけられたのだが、言い返せませんでしたとさ。ついでに言うと内臓はぜんぶ繋がっているので、ついでに膵臓周辺の臓器も溶かしちゃったりする。この膵臓と膵臓周辺がやたらと溶け始めているのが所謂「重症」で、なぜそこまで膵臓さんが大暴れするのだかという原因は判っていない。判っていないので厚生労働省指定の難病とされているし、じつは治療法も確立されていないんじゃないかな。されていたら指定難病なんかになるわきゃない。
ちなみに、膵臓さんに「よっしゃ、出番だ!」と思わせる食物/飲料の代表格が脂と酒なんだな。ついでに書いておくと、膵臓はインシュリンの分泌でも活躍しているものだから、糖分の摂取もよくないらしい。僕の場合はむしろ酒はあまり関係なくて、たぶんイナバの缶詰カレーをカップヌードルに放り込んで食べると脂質量が40 gくらいになるのだが、いまそんなものを食べたら一発でものすごく痛む自信がある。しかたがないので今回の退院後は脂質摂取量5 g/日くらいで暮らしていて、これなら蒸留酒ならたしょう飲んでも平気な感じ(醸造酒は必ず糖分を含むのでよくない、らしい)。食餌療法についてはまだ初心者だもので、毎日湯豆腐かチクワですよ。ヘタクソながら高校生時代から自炊派を張っているもので、ゆくゆくはラーメンとかカレーとかを、油脂分を徹底的に省いて作ってみたいものだ。
今日の看護婦さん: 一般病棟days.
さきにごめんなさい、ICU搬送から1週間目に一般病棟に移ったのだが、なにしろその時点でラリっていたものだから一般病棟生活規律に関するムンテラ(説明)を、看護婦さんから受けた筈なのだがまったく覚えていない。8人部屋にいたものだから同室の患者さんが説明を受けているのを「へえ」とか思いながら聞いていたわけだけど、それもずいぶん後のことで「買い食いしちゃ駄目」とか「勝手にどっか行っちゃ駄目」とか知らんかった。その問題でいちど病院を追い出されそうになったのだが、そこは黒歴史なのでここには書いてやらん。想像すればだいたい判るようなことだけれども。
というわけで一般病棟に34日間も居すわっていたもので、もう住んでるようなものだな。昨秋に亡くなった母が同じ病院にながくお世話になっていたもので病院の構造は熟知しているし、「勝手にどっか行っちゃ駄目」という規範は存じあげなかったものでちょっと元気になるとうろうろしているし、あまりいい患者ではなかったとは思う。すみません以後気をつけます。で、とりあえず電動ベッドを改造して動作速度を上げて、ついでにリモコンの場所が気に入らなかったもので右コネクタから左コネクタに変更する俺。退院時に復旧しておいたから勘弁してください。

あとは要するにベッドでごろごろして「ごはんまだかなあ」と言っているだけの生活で、ときどきシャブ中の発作みたいに歩きたくなって、病棟をうろうろしたり屋上に出てみたり、許可をもらって本部棟のPC室で調べ物をしてみたり、調子のいいときは近所の公園まで行ってみたり。43日間にわたってとうぜん飲酒はなしで、煙草は一般病棟入床時に所持しているのがばれてものすごく怒られたので、まあないようなもん。ってか喫煙がみつかったら追い出されるのだそうで、こりゃたいへんだ。ってか追い出されかけた。
一般病棟の看護婦さんたちもみなさんたいへんな美人揃いで、激務であろうにみなさん笑顔を絶やさず、優しくて親切。でもまあ僕なんかは手のかからんほうだろうとは思うし、けっこう放っておかれていたかもしれない。文句をつける筋合いはない。ちょっと困ったというか、まだあまり動いてはいけない頃に「りびさん、清拭します?」って聞いてくれるのはありがたいのだが、いかい仕事とはいえだな、顔見知り程度の綺麗なお姉さんにちんこ拭かれるとかないわ。金輪際ないわ。そんなことで身体のほうは自分でおしぼりを作ってふきふきして、洗面所で洗髪だけお願いしたような次第。どのみち動作も限られているし、病棟は28℃固定で汗もかかないので入浴の必要性もそんなにはないのね。ちんこの話が出たついでに書いておくと、病棟のお風呂は早い者勝ちの予約制で、1回30分。風呂場はおそらく80床ほどのフロアにひとつなので、予約はけっこう埋まっているし入浴介助の患者さんもいらっしゃるので、僕はなるべく遠慮して深夜にベッドのへんで自分で拭き拭きしておりましたとさ。
炎症系の内臓疾患なので、血液検査はわりと頻回にある。血管炎症製造薬レミナロンを含む点滴静注(静脈注射)のライン確保も多くて、必然的に静脈穿刺は多い。僕の静脈は、かつての赤十字献血なんかでは割と「刺しやすい」と好評だったのだけれども、なにしろ点滴栄養だの経鼻栄養だので10日間がところも過ごした後だもので、血管が痩せましたかね。なんか穿刺が難しいほうの代表格みたいになっちゃって、けっこうベテランの先生がぷすぷすぷすぷすと4回ほど失敗してから「上手な先生」を呼びにいったり、看護婦さんが30分かかってぷすぷすぷすぷすと泣きそうになりながらラインを確保してくれたり、けっこう医学の進歩に貢献しちゃったような気はする。
退院前から左手フォアに軽い痺れが出てきて、たぶん注射針が神経に触れたね。病院のPCで調べたところでは「こういうのはすぐ治る」というので安心していたのだが、退院24日目にしてフォアの痺れがだんだん増悪&慢性化してきているので、次回通院時に神経内科でも紹介していただこうとは思っている。たぶん穿刺100回にはなっていると思うので、まあしょうがねえや。
あとは一般病棟についての雑談で、と。
入院中の実世間とのつながりはほぼTwitterのみで、なにしろ暇なのでけっこう書き込みもしていたと思う。たまさかお見舞いにきてくださる暇なご奇特なかたもいらして、なんでか全員ミュージシャン。
クラシカルのクロマチック・ハーモニカの先生が大量のタオルとお花をもっていらして、タオルはとっても助かりました。お花はデイルームに展示して、けっこう2週間くらいも保ったんじゃないかな。フリージャズ系なのかな、ベーシストさんは大量のSF関連の書籍を持参してくださって、かなり暇が潰れました。けっきょく書籍交換会みたいになっちゃったけどな。ロック系美人ボーカリストさんには来訪予告の時点で「あれとこれとそれ買ってきて」と無茶なお願いをして、こちらは洋書を差し入れていただいて、あと秘密の煙草とお裁縫セットを頂戴しました。いちおう所属している合唱団のエース級トップテノールの先輩もタオルを持参くださって、いろいろと伺えて面白かったの。ブルーグラスとアイリッシュ・フィドルの山崎規夫先輩は、サンチャゴ田村から安く譲り受けた楽器の自慢をするだけして帰りました。1曲弾いてもらえばよかったんだ、たぶん上階に小児病棟もあった筈だし。
横病院入院時にお見舞いに来てくださったのも、そういえばクラシカルのベース歌手、ロックのギタリスト、フリージャズ系のベーシストであらせられた。僕の立ち位置ってけっきょくそこなんですかね。
iPhoneがあって暇つぶし的には助かったのだが、前回入院時にはノートPCとWi-Fiを持ち込んでいたし、前々回にもiPhone用の外付けキーボードは持ち込んでいた。今回もこんなに長引くことが予め判っていれば、いっそ自主的にカリキュラムを決めて英語でもドイツ語でもやっときゃよかったんだよな。あるいは譜面をどしどし書くのでもよかった(念のために書いておくと、ある程度楽器が弾ける場合には、譜面を書くのに楽器は要らない)。次回入院があるならば、いろいろと持ち込んでみたいものだとは考えている。
お見舞いには親族の父と伯母も来てくれていた。ある日、ちょっと前にやった心臓カテーテルの術後検査ということで、叔母が大病院に1泊入院するという。入院16日目、ICUから一般病棟に移って9日目のことだ。同じ病院に叔母がいるのに鹿十もないよな。ということで、当時はまだひとり歩きが認められていなかったので、叔母の入院当日に看護婦さんと一緒に入院事務まで行って病室を捜してみる。え? 321号室? 隣の部屋じゃないですか、と看護婦さんが笑っていて、病室に戻ってみたらお隣の部屋に叔母と、伯母と父がいた。
外出許可が出たおりに、差し歯の調子がよろしくなかったもので先生に「ついでに歯科行ってきていいスか?」とお伺いを立てたら、理由は判らんが入院中は余所のお医者さんに行っちゃいけないんだってね。近所の公園までお散歩するついでに、インターネットでみつけた通り道の歯医者さんに寄りたかっただけなんだけどな、けっきょく差し歯はじぶんでとんてんかんとんてんかんして直しました。
僕とは関係ない話なのだが、ある日お向かいのベッドにかなり重篤な運動障害のありそうな爺さまが入ってこられた。食事も排泄も介助が必要で、ある日の給食に素麺が出たのにお箸がない、どうしましょうと介助の看護婦さんと爺さまが話しているのが聞こえた(そりゃ聞こえるさ)ものだから、割り箸を差し入れたりはしていた。この爺さまが、まだら惚けっていうの? ナースコールの使い方を覚えるまでに3日くらいかかって、深夜になって爺さまが「看護婦さーん」と呼んでいるのが聞こえるものだからこっそりナースセンターまで看護婦さんを呼びにいったりもしていた。このへんは看護婦さんと僕だけの秘密だが。
これも爺さまの入院当初の数日間のことだが、深夜に看護婦さんを(僕を巻き込んだり巻き込まなかったりして)呼んで、「ここはどこですか」「私はなぜここにいるのでしょう」などと訊ねている。看護婦さんが「これこれで倒れられて、これこれでここは大病院ですよ」と解説して「ああ、そうですか」とお返事などなされているのだが、看護婦さんを呼ぶ段階から質問に納得してお返事なさるところまで、口調も声音もいかにも落ち着いていらっしゃるのね。いや、たぶん「夜中に目を覚まして、真っ暗な知らない部屋でベッドに寝かされていた」ら、びっくりしたり怒ったりパニック起こしたり、って言っちゃなんだがありがちじゃねえの? ああいう爺さまになりたいものだと思ったことでした。そこまで長生きしねえけどな。
娘さんやお孫さんもけっこうな頻度でいらしていて、いいご家族をお持ちのようでもあった。1週間ほどして、爺さまは退院ではなく転院されていった。仄聞するところではターミナルケアとかではなくて、手術がうまくいったので安静療養のために「ちょっといいところ」に移られたそうな。お元気になられますように。
そんなわけで8人部屋に居すわっていたわけだが、お隣のベッドのおじさんの見舞いにいらしたおばはんは部屋に入るなり「なに、こんな部屋?」と聞こえるような声量で言うてはって、まる聞こえだけどおそらく誰も怒ったりゃせんけど、失笑くらいはしていたんじゃないかなあ。たとえば個室万床ならば手術や施術を優先して大部屋に入ってくる患者さんは多い。あるいは、僕は業者さんの清掃時にナースコールのプラグを抜かれていたのだが、あれが個室だったら急変時には致命傷になりかねない。ってかなるね。ついでに書いておくと、僕のお隣の部屋に入った伯母が看護婦さんを呼ぼうとしたらナースコールが壊れていて、たまたま僕が通りかかって様子をみなければ「寂しかった」のだそうな。いろいろあるんだよ、なあおばはん。
もとよりおばはんがおじさんの身をおもんぱかっていたことは疑わないけどさ、山袴だったモンペも今やモンスター・ペアレントであり、病院ではモンスター・ペイシェントを指す。おそらくは「ひとにどう思われるのかということに無神経」で「言いたいことをぜんぶ言っちゃう」ことに原因があるのだろうとは思うし、けっこういい例を拝見させていただいたとは思う。おい、俺に言われてるよ。
8人部屋だからということなのだが、サッカーに興味のない僕はすやすやと眠っていて、2014年7月14日の05:00くらいに周囲のどよめきで起こされた。なんかワールドカップで点を入れたんだか外したんだか入れられたんだかしたんだと思う。まったく知らん。知らんが、みんなが揃ってトイレに行くのが珍しくて面白かったかもしれない。つまり同室の皆さんはベッドサイドのテレビで観ていたんだろうなあ、しょうがないから試合終了まで僕もベッドサイドのテレビで眺めておりましたとさ。なんだよ、みんな観てるんだったらイヤホンいらねえじゃん。
入院時に呼ばれて医師と面談した父との面談が、退院時にも医師側からけっこうしつこく要求されて実現の運びとはなった。俺ももうけっこうなおっさんだし世帯主だし納税こそあれだが社会人だしそんな必要もなかろうとも思ったのだが、たぶん入院時に「アル中患者の入院につき保証人が必要」という話になったんじゃないかな、と邪推はしている。統計的には厚労省指定難病たる重症急性膵炎はレアな病気なのでアルコール依存症なりを疑われるのはある意味でしょうがないんだけど、これも統計的には重症急性膵炎罹患者に占めるアル中の割合は0.6%だぞ。
退院時の担当で見送ってくれた看護婦のミサトちゃんは屋上散歩時にも看視してくれていて、西新宿方面を眺めていたら「あたし、東京って判んないんですよね」と仰るのであれが代々木のNTT、それから都庁、コクーンといちいちご案内してさしあげた。勤務先の建物の屋上に上がったこともないとか僕としてはあり得ないのだが、まあそういうことはあるでしょう。それでほんとはいちど浅草か錦糸町あたりから始めて東京タワーから六本木、渋谷から新宿くらいのルートで東京案内でもして差し上げたく思ったのだが、うっかりロマンスでも生まれると困る(僕は困らない)ので、現在に至る。
今日の予後:
幸いにして32日間で、腹が痛んだのが5回くらい。いずれも短期間で快癒して、治ってないのは快癒って言わないね、いずれも短時間でおさまって、まあなんとかやっちょるわ。
食事制限というか食餌療法があり、脂質制限はかなり厳密に守っている。推奨1日量が脂質30~50 gのところを5 g/日くらいで廻しているんじゃないかな。脂質制限のほかにも飲酒制限、満腹制限とかがあるけど、まあなんとか。
Reviken_Tokyo
半身は山葵を乗せて、半身はなんかよく判んないハーブで焼いてみた。 http://t.co/gX3TC3tF8j
08-29 23:11あまりいいササミではなかった。 http://t.co/LITnwiiy3I
08-29 23:10ここでくるか(笑)。 RT @mitsuru_asari: 堪らん(@ ̄ρ ̄@)b #被弾 #hidan_food RT @Reviken_Tokyo: まったく美味そうに見えないのだが、挽肉トマトソースに霧下蕎麦を乗せてみたら美味いhttp://t.co/saJt80x2Ck
08-29 23:01これは美味そうだろうか。脂質制限のある私は、もうこいつを食べることができない。 http://t.co/UiI5axa8rB
08-29 22:58これは美味そうだろうか。 http://t.co/KBzlWHx3NF
08-29 22:55これは美味そうだろうか。 http://t.co/YD8nu8MtLc
08-29 22:53これは美味そうだろうか。 http://t.co/DwZsdyEB9Q
08-29 22:53まったく美味そうに見えないのだが、挽肉トマトソースに霧下蕎麦を乗せてみたら美味いんだわこれが。しかしまったく美味そうに見えないんだわこれが。なんでやねん。 http://t.co/saJt80x2Ck
08-29 22:44テレビドラマを眺めていたら、再放送でもないのに2本連続で犯人が東ちづるだった。さては悪人だな、東ちづる(そんなことはない
08-29 22:31@solo_el_fin まったく関係ないけど先日のブルース・セッションで『スキスキソング』を歌ったのだが、「ベースはDmでウワモノはDメジャーで」とか言っていた私はなんか間違ってるっぽいのです。
08-29 22:27
前回までのアラスジ: 重症急性膵炎で6週間ほど入院してきた私は、食餌療法で脂質を制限しているのだった。
今日は生協でなんとなく牛スネ肉、だと思う、を買ってきて、ガンボ的ななにかを、ガンボってこんなんだったっけな、まあ食えりゃいいやってな感じで作ってみました。たぶん3か月ぶりの牛肉だぜ、脂質の量とかよく判んないけどまあいいや。
ざっくり、熱したパンに油なしで牛スネ肉を放り込んで塩胡椒して、色がついたら裏返して、弱火にしてからブナシメジを放り込んで火が通るのを待つ。そこにイタリアンホールトマト缶を放り込んで、パンに蓋をして5分ほど蒸す。はい、できあがり。はっはっは。
たぶんスタインベックかなんかの貧乏小説に出てきたやつをアレンジした感じで、脂分は牛スネのサシ部分のみだからまあいいや。なんとなく無脂肪ヨーグルトを乗せてみたらいい感じになりました。ソースが余ったもので、これも油なしで熱した冷凍海老とかを足していただいているのです。
ガンボってこんなんだったっけな。まあいいや、食えるし美味いし。
今日の大病院:
午後からなんとなく腹が痛んできたもので、とりあえず寝床でごろりんとする。うむ、痛ぇぞ。
本来ならば自宅でそのまんま悶々としているべきところなのだが、退院後の療養中でもあり、ちょいと無理押しで大病院の救命救急までタクシーで行かせていただいた。それで単純X線とかCTとか撮られて、けっきょく「痛いだけだから帰りなさい」ってんで追い出される04:00。
そんな日もあるさ。
Reviken_Tokyo
@makoto_bass もっと生命を大事に。
08-28 22:32@makoto_bass ぷいーん
08-28 22:24@makoto_bass ぷ~~~~~~~~~~~~~~~ん(このへんにしときます
08-28 22:13@makoto_bass あいつら、無音で来れば完全犯罪なのにね。
08-28 22:00@makoto_bass ぷーん(俺)。
08-28 21:59@hirozo1 みっつあって、ひとつめは「家畜ってそういうもんじゃね?」で、ふたつめは「犬って使役されることがシアワセなんだぜ」。みっつめだが、フォークで刺すのが明らかに虐待じゃん。「「盲導犬」って本当に必要なのか?」ちゅうなら代替物件を出せよ、馬鹿なんじゃねえのかてめえ。
08-28 21:54RT @hirozo1: 盲導犬を虐待したヤツはマジで許せない。だけど批判覚悟で言わせてもらえば「盲導犬」って本当に必要なのか? ある意味、犬に対しての虐待行為って面もあるんじゃないのか?
08-28 21:50フィラデルフィアの山奥の田舎の寿司屋(あるんだなこれが)に入ってみたら「日本人が食うのか?」ってんでばりばりアメリカ人の板さんがビビっていたのだが、食ってみたらこれが美味い。「これ、銀座で店だせるよ」って言ったら気合い入ってたけど、あのあとどうなったかな。開店してたら俺は行くぞ。
08-28 21:50香港観光旅行で旺角の床屋さんに入ったら「お前の髪には$40のパーマをかけなければならない」と言われて、「$20くらいしかもってない」と言ったら「判った、$20ぶんだけパーマをかける」って言いやがる。頭頂部だけパーマヘアーな感じだったけど、意外と似合っていたかもしれません。
08-28 21:44ドイツの田舎で宿を予約しようと思って電話して「英語できる?」ってきいたら「No Good」だったもんで「Heute Nacht Acht Uhr Zwei Person」でなんとかしたんだけど、「Person」ってドイツ語じゃないし。泊まれたからまあいいか。
08-28 21:41
虞膵炎入院が6月半ばから7月いっぱい、8月は静養を決め込んで家でごろごろしていて、けっきょく3か月間がところでピアノにさわったのが1回だけという体たらくの、いちおうピアニストである私である。もともとたいして上手くもないのでめきめきと腕を下げることもなかろうが、もともとピアノを弾くのは好きなので日暮れから学芸大学あたりでやっているTattiさんのセッションに行ってみようかなと思って家を出たのだが、100メートルも歩いたところで「これは学芸大学前まで往復する体力はないな」と思って行く先変更、中井駅前高級割烹料亭錦山で湯豆腐などいただく。湯豆腐と焼酎1杯で800円、ってなんだそりゃ。
それで錦山でiPhoneを眺めていたら、歌舞伎町Golden Eggでブルース・セッションをやってるらしいので、ゴールデン・エッグなら実家も大病院も近いからうっかり斃れても大丈夫だなと思って、ってどんだけ体力ねえんだよ俺な感じで顔を出してみる。
よく知ってるベーシストさんがいらしたもので、事情を話して演奏を聴いてみていただいたら、「なんでアウトしねえの?」って言われましたとさ。どうやら識閾下では真面目に弾いているらしい、よくないねえ。
今日の食事:
※重症急性膵炎あがり(さがり)で脂質制限中の私は、30~50 g/日くらいの脂質摂取量を勝手に切り下げて5 g/日くらいで廻しているのでした。初手なら笹身と笹蒲鉾と豆腐ばっかり食ってましたよ、あーめんどくせー(意外と愉しいけど)。
近所のイオントップバリュ地下鉄東西線落合駅上店(正式名称は知らん)に「鶏胸肉の皮なしスライス」というのがあったもので、にこにこしながら買ってくる。カタマリで買ってもいいのだが、てきとうに切ってあれば脂身の有無が視認できるのでありがたいわけね。きれいに透き通ったピンク色で文句なし、お値段も好もしい。

小さなフライパンで作るとして、検討すべきは火を通す順番だよね。いろいろ考えたんだけど、けっきょくまず胸肉を炙ってからちょっとのけて、ブナシメジを空煎りしていい感じになったところで胸肉を戻して、塩胡椒して缶詰のコーンをぶちまけて、冷凍庫にあったブロッコリを載せて蓋をして10分ほど蒸してみました。
ふむ、けっこうイケる。ちなみにレシピはスタインベックとかに因るっぽい。はっはっは。

蛤とか浅蜊とか蜆とか好きなんだけど、まだ夏だしねえ、というわけで冷凍の剥き海老を買ってきました。400円もしやんの。自慢じゃないけどあんた昨秋に罹病して半年間病院を出たり入ったりして、7月末に退院してからひと月ごろごろしてみ? カネなんかねえよ、はっはっは。
冷凍海老を買ったのは初めてだったので、冷凍仲間のブロッコリと合わせてパンで焼いてみました。油とか敷かない。よく判らなかったもので、はじめちょろちょろなかぱっぱの感じで、これでよかったのかなあ。それなりに食えたからまあいいや。ってかこれはこれで美味しい。

日高屋さんのメニューの脂質量はたぶんインターネットでは判らないので、ハイデイ日高さんに問い合わせたらあっという間に回答を頂戴した(ありがとうございました)のが以下、
トマト冷し麺 7.9 g
黒酢醤油冷し麺 7.4 g
ゴマ味噌冷し 17.4 g
今日は7.4 g/dayなら問題なかろうな。ガンボと足しても10 g/dayくらいのもんだ。
Reviken_Tokyo
♪んきょうのあさめし! ニワトリガンボーっ!♪tacetみれどらどれみらどれみらそらあっ! http://t.co/sonQ4bKZPn
08-27 07:38虞膵炎食餌療法で脂質制限中の私の朝食の材料のメインは「切れてる皮なし胸肉」。鶏腿と鶏皮が大好きな包丁人の私がこんなもん買うとは思っていなかったけど、肉のサシまで見るならば「切れて」て断面が見えるのはありがたいんだよね。なんとかしよ。 http://t.co/oeEW6ZziFk
08-27 06:01CX『ガリレオ』はヨシタカがウザいので観ていなかったが録画に紛れていたので観てみたら、ガッツ石松のPC操作を見た吉高が「ブラインドタッチ!」とつぶやいていた。キーボードのメクラウチを指す用語が「タッチタイプ」にほぼ置き換わったのは前世紀のことだったと思うので、なんか新鮮でした。
08-27 05:38@Mariyudu いま気がついたけど、これズッキーニを我慢すりゃよくね?http://t.co/jkWfMCM3Ti
08-27 05:16早稲田は夏目坂のお寺で見かけた蓮は、ピンボケなんじゃなくてカメラの解像度の問題だからねっ! といちおう言っとく。ほんとは姿三四郎して寄ればよかったんだけどね。そのまま夜までいれば「ぽんっ!」って音も聞けたのかもしれないんだけどね。 http://t.co/nQSpayE76o
08-27 04:25
Reviken_Tokyo
RT @Takayuki78: 真剣にふざけるおっさんになりたい。
08-26 22:52午後ちょっと膵臓のへんが痛んだ(てか経験的にこれ膵炎痛)もので、「消化器を休ませるためにものを食わずに寝てろ」というお医者さんの指示に従っていたのだが、なんかやたらと蠕動があったってことは消化器休んでねえやんけ。痛みそのものはおさまったのでいいんだけど、なんか間違っちょるんか儂。
08-26 21:42若松河田のへんで見かけたランタナ作業中のイチモンジセセリさん。たぶん珍しくはないのだけれども、見にいかないと見えない地味なかたなので記録しておく。 http://t.co/82EZF8SrvE
08-26 20:40@Mariyudu いま脂質制限中なんだけど、ココイチのメニューを見たら1食脂質7 gとかだからイケそうですね。試しに食ってやろうじゃないの(なんでココイチなの)。
08-26 15:47@Mariyudu まあ百キロメートル譲って茄子を赦したとしても、この組み合わせがなあ。最終的にカボチャのひとり勝ちにならね? あと、後半組を投入するならば前半基本三者は「微塵」か「おろし」か「裏ごし」にしてほしいと思うのです。 http://t.co/jkWfMCM3Ti
08-26 15:31入院中の連続穿刺による(のかなあと勝手に思っている)右手フォアの痺れと痛みは、お医者さんによると「橈骨神経損傷とかの大きなもんじゃない、たぶん末梢神経にちょっと触ったくらいで、1か月に1 cmずつ治る筈」との由。えーと、ここひと月ほど増悪してるんですけどー、まあ様子見ですな。
08-26 15:24@Mariyudu カレーに茄子、だと?(そこかい)
08-26 15:21消臭力のTVCFでマカンコウサッポウをやってる版とやってない版があることに昨日気づいたのだが、まえからそうだったっけ? #TMR15
08-26 14:52左手フォアの痺れと痛みを診てもらおうと思って大病院に来たのだが、なぜ私は小児科の待合に座らされているのだろう(´・_・`)
08-26 10:14気がついたら割と新しいアンダーパンツのケツんとこに穴が3つくらいあいてビリビリ。そういえばさきの入院のときに10日間穿いて寝ていたパンツでした(絶対安静尿カテ静カテで穿き替えとかムリっ!)。で、10日間も僕のお尻とベッドに板挟みになってた、と。穿き替えて合掌して廃棄、ありがとな。
08-26 06:58
大病院訪問の目的はふたつ、まず1か月前の退院以来左手フォアにたぶん大量百本穿刺由来なのではないかと思われる痺れと痛みがあるのを診てもらうこと、それから東京都福祉保健局保健政策部が医療費を出してくれるというので、そのための書類を病院で書いてもらうこと。後者については、帰りがけの大薬局にも寄る必要があるね。
09:00くらいに大病院に到着して、まずは医療相談所みたいなところで看護婦さんにこれこれと事情を説明してみたら、神経内科かと思ったら整形外科に案内されるのね。まず骨とかそういうのを診て、それからもし問題があれば神経内科、みたいな説明でした。それで診察のまえに首と左手のレントゲンを撮って、放射線技師のカメラマンさんには「穿刺が原因だと思うんですけど」とは言ってみたんだけど、「まあなにがあるか判りませんから」ということでおとなしく被曝(悪趣味な用語ですまんが、いちおう放射線量とか計算していないわけでもないのよ、私)。そこから整形外科で文庫本を読みながら待つこと2時間30分。大病院ではふつうのことなので、のんびりと待つね。そのうちにシェクリー『残酷な方程式』(創元SF)を読み終えてしまったので、あとはうすらぼんやりと。
診察のほうは触診もあって、常用薬の副作用についてはさすが大病院、あまり見たことのないデータベースで確認して、もちろんレントゲンも見る。素人考えで橈骨神経傷害を疑っていたのだけれど、それだともっとおおごとになっているらしくて、おそらくは注射針が末梢神経に障ったかなにかしたのではないか。この容態ならば、1か月に1 cmずつくらい治っていく筈だ。いまの患部長が10~12 cmくらいなので、1年くらいかけて徐々に治っていく、筈っ! との由。ふむ。いちおう6週間くらいかけて増悪はしているのだけれども、末梢神経修復薬ってのがあるのね、メチコバール500 μgというのも処方していただいたので、しばらくは様子見ということでいいかな。もともと症状は軽微で、僕がいちおうピアニストでなかったらさして気にもなるまいということは先生にも告げてあるわけだし。というわけで、会計を済ませて診察の部はおしまい。

書類申請自体は簡単なもので、費用が2,000円くらいだったかな。これを大病院と、あと帰宅がけの大薬局でお願いして、書類が届くのがほぼ1か月先だものだからそこから申請してお小遣いがもらえるのは、まあ年内に間に合えばラッキーってなところか。ってか、銀行振込があった時点でもう忘れてるな、俺。
今日のお食事:
というわけで厚生労働省指定の難病もちである私は、31日前の退院以来けっこうな勢いで脂質を制限している。アベレージで5 g/日くらいのものだと思うのだが、昨日は10 gをちょっと超えちゃった。まあいいや。
朝御飯は、以前から試してみようと思っていたのだけれども食指が動かなかった日清カップヌードルそうめんとやら。1食あたりの脂質が1.8 gなので、これくらいなら問題にはならないのだけれども、これだったら普通に揖保の糸を茹でてたほうが美味いし、手間もさして変わらんなあというのが正直なところ。あまり腹の足しにもなりませんでしたが、好みの問題でしょうな。脂質は通常のカップヌードルの1/10程度なので、たまにカップ麺が食べたくなったらこのシリーズということにはなります。
お昼御飯というか、待合にいたものだから大病院のコンビニエンスストアで好物の「きなこねじり」を買ってきて齧っていたのだけれども、これが油で練ってあるんだかなんなんだか知らないけど1袋あたりの脂質が9.2 gなのね。これを30分かからずにいただいてしまったものだから、途中からなんか調子が悪くなってきちゃった。阿呆か、判ってることだろうに。はいごめんなさい。
帰宅したら芋焼酎が余っていたので実験的にひと口飲んでみたら、あっという間に激痛がきました。昨晩なんでかあまり眠れなかったというのもあったのだろうし病院でなんにもしないでいるのに疲れたというのもあったのだろうけれども、もうちょっと気をつけようね。あわてて右側臥位で2時間ほどごろっとしていたらおさまったからよかったようなものの、やはりまだまだ弱いようです。
いちおう晩御飯の買い物もホーボーメシ(ex. 『廿日鼠と人間』の、ポークンビーンズ缶にケチャップを乗せるのが御馳走)みたいな感じで用意してきたのだけれども、ひと寝入りしてから考えたほうがよさそうですね。
今日の大自然:
病院裏の公園のまた裏の路地のランタナで作業中の、イチモンジセセリさん。あまり珍しい存在ではなかろうとも思うのだが、意識して見ようと思わないと見ることもそんなにはない珍しいかたなので記録しておく。子供のうちは稲とか食っちゃうんで害虫扱いらしいんだけど、ランタナさんと協同作業しているぶんにはいいよな。このナリで蝶の仲間だというのも奥床しいし。
現場を眺めていてふと思ったのだけれど、たとえばランタナで作業しているのってセセリチョウかシジミチョウ、あとはハナアブくらいで大型のアゲハチョウなんかは見かけないような気もするの。やはり昆虫さんたちのサイズと花の大きさによって作業所の棲み分けなんかがあるのでしょうか。そのうち調べてみようかな。
こちらは夏目坂途中で東京大空襲供養の菩薩さまのいらっしゃるお寺のお庭で拝見した蓮。たとえば武道館に行く途中のお堀などで大輪のものは見られるが、僕の行動半径で身近に見られるところってあんまりないので記録しておきました。念のため、iPhone4Sでちょっと遠目から撮影したもので画像が粗いが、これはピンボケじゃなくてカメラの解像度の問題だからね。いちおう言っておくぞよ。
これ、ほんとに「ぽんっ!」っていいながら咲くのかなあ。