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徒然草むしり
嘘を! もっと嘘を!


2006年8月27日(日曜日)、都田克郎氏追悼。
全体に電池切れの日でしたな。

本来は土曜日に仕上げておく心算だった請負PC仕事はまざまざな情事で遅れに遅れ、というか遅れているというのは作業にとりかかっている状態のことを指すのだが手もついておらんし、でも外せない用事があるので昼からとぼとぼと出かけて、15時くらいに帰宅して、なんか元気がないのでちょっと寝る。元気がないことの原因は不明。食欲もないので(なんとか茶漬だけかっこんだ)、回復予定も不明。

早めに死んじゃった「みゅ」の追悼の会が19時からあるのだが、18時半くらいに出席を諦めて幹事っぽいドドドには土壇場キャンセルの連絡はいれて、でもふと気づくと「家族の写真はあるが本人の写真は少ない」という情報があったなあと思って、そういえば僕は元締から「みゅ」のスナップ写真を何葉か預っていたのだった。昨晩頑張って作った「都田さん観覧レゲエライブ」のDVDも焼いてあるしな。


今日の葬式:

葬式ってわけじゃないけどな、本葬が密葬だか家族葬だかだったもので、故人を知る人たちが企画した会なのだと思う。詳しくはない。mixiにそのためのコミュニティがあるのだが、俺が参加したのは昨晩というか今朝だし。

故都田克郎氏は、たぶん1992年が初対面かな。NIFTY-Serveがまだアクティブでまだインターネットなんてものはなかったころの知り合いで、繋がりはワープロ専用機のオアシス・ユーザー・フォーラムあたりだったか。発言のやりとりもそんなにはなかったが、時に冷徹だがとても論理的な文章をやわらかぁく書ける親切なひと、といった印象ではあった。

実地でお会いしたのはイベントとかオフラインとかでの数回で、俺は馬鹿なことしかしないし言わないし中身も実際に馬鹿だもんで頭のいい人にはよく馬鹿にされて腹も立たないのだが、「みゅ」はその馬鹿に付き合って馬鹿をやってくれるひとでもあった。印象に残っているのは、なんでか上野で宴会をやったときに俺が空いたお銚子を振り回しながら「さけー!」って喚いていたら隣でやはり都田さんが「さけー!」って喚いていて、けっきょく二人とも酒がくるまでやめなかったこと。あとはなんかの宴会で写真で拝見したバットマンの仮装かな。あはははは、阿呆だこいつら。

ネットでの理知的な印象との落差、落差じゃありませんね段差ですね、をひとことで言うと「粋」と言ったら褒めすぎだろうか。まあ死んじゃったんだからそれくらい言うてもよからんもん。そして僕がいちばん憶えている都田さんは、俺が後に大麻販売で強制送還されたジャマイカ人と演っていたレゲエバンドのライブに来てくれたときのことで、オーバーオール姿でなにやら不思議な踊りを踊っておられた。


というわけで、会には1時間ほど遅刻して這って到着して、そのへんの机に写真を並べるなりマイクを持たされて喋らされる。どうやらみんながひとわたり喋った後のようで、ちょっと展開は不利だったようだがいちおうなにやら思い出話などをひとくさりする。早すぎる訃報について「順番は守ってほしい」とか言ったような気もするが、失礼がなかったらいいなあ。手遅れだなあ。

あとは古い知り合いと都田さんの話とか都田さんのじゃない話とかして、展示されていた遺品のオークションとかがあって、僕はDVD『2001年宇宙の旅』と講談社現代新書『はじめてのアラビア語』、中公文庫『地下鉄のザジ』をゲット。カンパ千円じゃ安かったかなあ、まあいいや。たくまずして「訳の判らないもの」が3点セットになってしまったのは「因縁」というものだろうかしらん。

こんなのも混じっていました、『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』 けっこうな読書家だったと思うのだが、100冊くらいも並んでいた遺品蔵書に僕の既読のものがなかったのには驚きましたな。立花隆とか大槻ケンジとか共通点はあったにのぅ。CDのほうではQueenの『ベスト』とか『Solo Monk』とかがあるんだけど、都田さぁん、CDの中身入ってないよぉ。あんた私か(笑)。


あと落ち穂拾い:

  • 作ろうとしていたなにかの会社の名前が「Be Eternal」になる予定だったらしい。「永久とわに」ってことだな、いい名前だと思う。

  • ふじすえ健三さんのblogに、亡くなるひと月ほど前の6月のスナップショットがありました。同氏の1月のblogにも記事があって、1月のほうは僕も知ってるみやこださんなんだけどな、6月のほうは道で会っても気がつかないな、これは。僕の実家の父母も癌とかそんなんやっていて、痩せたり髪が抜けたり苦しんだり明るかったりしているわけで。でも都田さん、どうやら写真に写っていないあたりでPCやら資料やらをとっ散らかしたデスクを勝手に作っていて、看護婦さんに怒られていたとか(らしいなあ(笑))。ご本人が来るべき死と対峙したあたりの記録はmixiにあるらしいので、こんどシラフのときに読ませていただく心算ではある。

  • ご家族に最後に「読め」と言ったのは、聖書から『ロマ書』(ローマ人の手紙、でしょうね)から第8章だったそうで。なんか盛り上がるところだったような記憶はあるのだが、きれいさっぱり忘れてますね俺。こんど図書館にでも行ってみようと思う。

  • 誰かがどこかに書いていたのだが、「ご家族が笑顔で帰られたのがなにより」と。同感です、あまり湿っぽくもなく楽しい会だったのは嬉しかったし、故人もそういう人であったわけだし。

  • 故人の奥様がおっしゃっていたのは、「もともとあんまり家にいない人だったもので(「どこにいるの?」って電話してみたら2階にいた、という感じだったらしい)、まだいなくなった実感がない」のだそうです。僕からすると、たぶんに生活感のない人でもあったような気はしている、そういえば。
帰りがけに野暮用で漬物学者宅に寄ったもので、お持たせの羊羹をひとつ形見分けで進呈しておく。プロの食品化学者の言うところでも「非常にいいもの」なのだそうな。僕には判りませんが、これも故人の人徳なのだろうなあ。
帰宅してなんとか飯を喰って午前3時まで寝て、根性で起き出して6時までに仕事をやっつける。出来はそれなりの予定。予定というかその心算。まあなんとか。ちょっとレポートの文章がくどいかもしれないけど、堪忍してください>>クライアントさん。

明日は、というか今日は、昼過ぎまで寝てからちょいと調べ物があるのと、夕刻からはまたOK牧場。さいきんダレてるもんで気合いいれて行きましょう。



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